諸行無常、上善水の如し、万物は流転する、などなど、すべては変わりゆくものだということを過去の人は説いており、今でも伝えられている。変わりゆくものなのだと。

 

ゴーダマシッダールタこと仏陀は、とても面白い人だったのだと、笑顔で楽しい、ユーモアのある人だったのだと思う。そうでないと、俺の中で辻褄が合わない。悟りがどんなものかはわからないが、悟りを開くことと、難しそうな顔をしたり、上から目線で語る姿は噛み合わない。

仏陀の教えのようなものは今でもたくさん遺されているのだろう。しかしそれは仏陀による書き下ろしではないのだろう?苫米地英人曰く、般若心経やその他の諸々は仏陀の指し示す指を見た人がその指についてしたためたもので、仏陀は、指じゃなくて指の指す先を見て欲しいと思ってんじゃないか、と。俺にはその解釈がとても腑に落ちる。

 

できる限りそのままの姿で残していこうとすることは理解できる。が、変わらずにいようとすること、変わらないこと、変わることを拒むこと、それこそが争いを産み、差別を産み、分断を産んでいる。なぜならそこにとてつもない執着があるからだ。すべては変わりゆくと考える人が、そんなことを望むのだろうか?

 

例えば、アンパンマンは現代の悟りの書と言って差し支えないと思っている。まだ言葉も満足に扱えない子供から老人まで誰もが理解でき、真理を伝えている。やなせたかしの人生が物語となり、絵本やアニメなどの現代の技法で表現されている。般若心経は読めもしないし、読めないのだから当然、内容も理解できない。ただお経がもたらすトランス感覚については実感したが。アンパンマンの悟り的存在についての時間的強度については気になる。もし未来に行けたら、そこでは何が信じられていて、伝えられているのか、その方法は。

変わらないことについて、言葉で説明することはできるだろう。今でもたくさん説明されているんだろう。俺はそれを理解するだろうし、納得もするだろう。しかしそれはそのための言葉でしかなく、やはりそれは指の話でしかないということを忘れずにいたい。

 

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