プッチ神父の「素数を数えて落ち着くんだ・・・」の元ネタについて

定期的にポール・エルデシュという数学者の伝記を読み返しているのだが、軽く震えるような発見があったので記録しておく。ちなみに数学のことはまったくわからない。


それは題名の通り、ジョジョの奇妙な冒険 第6部に出てくるプッチ神父のあるセリフについての発見だ。


素数を数えて落ち着くんだ・・・」というあまりにも有名な彼のセリフは、ジョジョを知らない人でも聞いたことがあると思う。

 

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ジョジョ」自体、ロックバンドをスタンド名にしたり、ホラー映画や小説のストーリーから着想を得たり、そうしたオマージュが多いことはよく知られている。


プッチ神父のセリフの元ネタについても、ネットではいくつかの作品での「素数を数える描写」の可能性が挙げられている。中でもスティーブン・キングが1993年に発表した短編集「いかしたバンドのいる街で」に収められている “動く指” が有力そうだ。


以下を引用させてもらうと、

マンガ家はまねるのがうまい? 「素数を数える男」プッチ神父とワンピース74巻表紙の女の子の元ネタ:Bノート+ - ブロマガ


そんな彼のもう一つの趣味、というか習慣が、トイレで用を足すときに素数を数えることなのだ。 小説の話が進む中、普通なら13で終わる彼の素数のカウントは、「ある理由」によって最終的には347まで伸びることになる。つまり、彼の平穏は終わってしまった、という表現に使われているのだけれど、頭の良い人の変わった習慣らしさが出ていて面白い。

 

荒木飛呂彦さんは、著書「荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論」でスティーブン・キングについて一章まるまる割くほどのキング愛の持ち主なので “動く指” を読んだことがない、ということはないだろう。他にも、「(スタンドを使って)大量のヤドクガエルを空から降らせる」というアイデアも「いかしたバンドのいる街で」に収められている他の短編に同じようなシーンがある。よって、上記の推察は非常に蓋然性が高いと言える。


で、私が発見したのは、スティーブン・キングが着想を得たのではないか?と思われる一説だ。


ポール・エルデシュという数学者は、数学界でも伝説的な偉業を残しており、特に ”素数“ の分野で活躍した。伝記の一章は、素数について書かれている。

(ちなみに、一章では素数研究のパイオニアとして、17世紀のパリの修道士、メルセンヌという人の功績が紹介されているが、「聖職者」「素数」というキーワードから、この人がプッチ神父のモデルだと考えられる)

その一章の中に、こんなエピソードがあったのだ。


1980年代にイランの独房で数年間を過ごしたジャーナリスト、ロジャー・クーパーには、素数同士の間隔の法則性が判明していないことが、いい気晴らしとなった。「目隠しをされ、英国のスパイであることを否定するたびに平手や拳で殴られる尋問と尋問のあいだに、わたしは読むものがなくても楽しめる方法を探そうと考えた。パンのかけらでバックギャモン・セットを作ったり、ローマ数字をもとにした記数法を考案したりした。リンゴの種がゼロ、オレンジの種が一の位、プラムの種は五、10や100は位置を変えて示した。これで5,000までの素数を全部算出できるようになり、ドアの陰になる部分の床に記録をつけては、素数が現れる変則性を考えることができた。

 

なんかもう状況も文章もすでにジョジョじみているが、スティーブン・キングは、おそらくこの話からインスピレーションを受けたのではないだろうか、と思った次第だ。


プッチ神父素数のくだりを読んだ時、こういう人って本当にいたんだろうなー、と思っただろうか?それくらい突拍子もない描写だからこそ人々の心にインパクトを与えたわけだが、実際に存在したのだ。時代を超えてインスピレーションが連鎖していく、この事実に震えた。事実は小説よりも奇なり、という言葉に、今までとは一段上の味わいを感じた。

 

別にパクリがどうだとか、真の元ネタが云々と言いたいわけではない。ただ、どんなに独創的なアイデアも、源泉をさかのぼっていけば、「本当にあった話」にたどり着くのかもしれない、と思った。とはいえ、ロジャー・クーパーが何か別の創作からあのような暇つぶしを考え出した可能性も否定できないが、それならそれで面白い。


ひとつだけ残念なのは、ロジャー・クーパーについての記事を見つけることができなかったことだ。少なくとも、ネットに日本語で書かれている記事がひとつもないことだけはわかった。