日本のアイドルとクマリ

くまぇりじゃないよ。


この間BSザッピングしていたら、生き神様のドキュメンタリーをやっていた。
ネパールには少女を生き神として信仰する文化があるようで、それはクマリと呼ばれている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/クマリ

生き神様には3歳くらいの女の子が選ばれる。クマリの選定には32もの条項があるようだが、wikiを見る限り要するに容姿端麗かどうかを見ているということのようだ。

クマリは初潮を迎えると、生き神様から普通の女の子に戻る。その後は国から毎月生活に困らないくらいのお金が出る。

番組はクマリをやめて学校に通いだしたばかりの女の子がインタビューを受けていたところだったが、彼女はいくつもの質問に対してまったく返答しなかった。会話もなく、相槌を打つことすらなかった。付き添っていた父曰く、普通の生活に慣れていないから、ということだった。

クマリは日々、国民の悩みを聞いたり、祈られたりといったことをしているそうで、クマリに会いたい国民の長蛇の列が出来る。

そこまで見て、なんだか申し訳ないんだか胸糞悪いんだかよくわからない気分になり、チャンネルを変えた。これらの光景に日本のアイドル業界が重なって見えたのだ。クマリへの行列は日本のアイドルに対する握手待ちの行列となんら変わりがなかったし、元クマリの12歳の女の子は魂が抜けてしまったように無表情だった。

日本のアイドル関連の宣伝では「神なんとか」という言葉が当たり前に使われるようになったが、ネパールではまさに神による対応がなされていたわけだ。日本の俗物どもはこれらのシステムをパクったのだと考えてさしつかえないだろう。

クマリは物心つかないうちから非常に特殊でストレスフルな環境に置かれる。たとえ自ら望んだのだとしても、所詮は子供である。クマリは当人の意思とは関係なく、ほとんど強制的にやらされているのだと言わざるをえない。このことについて幼児虐待や軟禁などの視点から人権擁護団体からの抗議があったが、最高裁で問題は無いと判決が出たようだ。このあたりの働かされ具合も日本の神もどきのアイドルたちと同様である。もちろん日本のアイドルはクマリとは比べるべくもなく酷い扱いだが。

とにかく、非常にモヤモヤする番組であった。もしかしたらネパールでもクマリによる経済効果がバカにできないレベルで発生しているのかもしれない。クマリは宗教的な存在で国によって保護されている存在だが、他の国ではどうなのだろう。下品にパクっている人たちは世界のどこかにいるのだろうが、さすがに日本ほど狂い咲いているわけではないだろう。そういえば日本も国ぐるみと言っていいレベルでアイドルを酷使している。

下品でいかがわしく嘘まみれの拝金主義的なパクリ方はとても日本らしい。しかしそういった日本的なハイブリッドのノウハウに生理的嫌悪を感じながらも、やはり私も下品でいかがわしい存在であることは否定のしようがない以上、それは同族嫌悪でしかない。違いは私がその利益を享受しているか否かでしかない。利益に浴する立場であったなら、それはそれでまた別の葛藤や苦悩があるのかもしれないが、日本のアイドル業界を見る限り、そういう人間はあまねく淘汰されるのだから考えても意味がない。このなんとも言えない消化の悪さは嫌いではないのだけど、やはり心の準備が出来ていないと直視はできない。私はこうして書くことで心の準備をしているのだ。