パチンコ屋にはいまだに軍団的な活動をしている人たちがいる。

例えば、1日中打てば100%勝てるハナビ通の設定Hを数日おきに入れている店があったとして、その店で俺が設定Hを打つ機会は限りなくゼロに近い。

平日休日に関わらず、開店前から並んでいる軍団が朝一でそのシマをすべて抑えてしまうからだ。

もし俺がハナビ通の設定Hを狙うなら、彼らよりも早く並び、彼らよりも早くその台にたどり着き、何台分の一の可能性にかけて席を取らなければならない。もちろんその日に設定が入っている保証はない。

問題はそれだけではない。そんなことをすればいずれ必ず彼らと揉めることになる。おそらく設定Hにたどり着くよりも早く。

一人で出来ることというのはとても限られているということであり、多人数であれば出来ることはとても多くなる。それが違法スレスレのことでも、なんなら違法なことでもまかり通ってしまうことがある、ということだ。

 

これはパチンコの話ではない。世の中はそのように出来ている、いや、そうならざるを得ないと言った方が良いのかもしれない。どこを見ても、そうなっているし、そうなろうという力が働いている。ということは、それは正しいことなのだ。それがあるべき姿なのだ。

 

つまり、世の中のあり方を受け入れることができない俺は間違っている。あるべき姿を拒絶している俺は正しくないのだ。それはおそらく環境の影響が強い。俺だってほんの少し生き方や出来事が違っていれば、正しく、あるべき姿で生きていただろうと思う。そう生きていた時期もたしかにあったし、これからだって俺がどう変わるのかわかったもんじゃない。

 

正しくなくても生きていくことはできるし、世間的に言う、あるいは自分が納得できる成功と呼べる何かを手に入れることはできるのだろう。しかしそれは正道ではない。邪道なのだ。別に皮肉でも嫌悪でも否定でもない。ただ世の中はそういう風に出来ているし、やはりそうならざるを得ないものなのだ。