「私は正しい」という凶器
少し前に
私は正しい すべての争いの種は ここにある
という標語を見た。真宗大谷派の寺の掲示板に書いてあったものを誰かが写真に撮ってネットにあげたものだ。これにものすごく納得した。
思えば、自分も含めて、人が怒っているのをたくさん見てきたけど、結局のところ、そういう人たちが怒ってまで、めちゃくちゃに声を荒げてまで主張したかったことはいつだって
「私は正しい」だった。
ネットでも現実でも「これは正しい」「正論だ」などと相手を批判するのを毎日見かける。そういう意見に私はほとほと呆れ果てていた。私がネットや特にはてブのコメント欄が嫌いなのはこの言葉を目にする機会がとても多いからだ。私は「正しい」という言葉をむやみに使うやつが嫌いだ。特に人を否定するためにこの言葉を使うやつは大嫌いだ。そんな「正しい」の使い方は正しくないと思う。
正しいっていったいなんなんだよ、と。
なんでそれが正しいってわかるんだよ、と。
それを正しいと言うことに何の意味があるのか、と。
それが正しかったとして、それと現実はまったく別の話だろ、と。
お前の人生はこれまでも正しかったしこれからも正しいのか、と。
そう斜に構えてしまうくらい、正しさは狂気になり、凶器となった。
ネットでも現実でも「私は正しい」と思っているやつが「私は正しい」と思っているやつらと毎日毎日飽きもせず罵り合いをしている。それはいつだって平行線だ。交わることなんて絶対にありえない。正しさなんてものは数学で習う三角形や円の計算式のようなもので、現実には厚みのない線分を引くことはできないし、三角形の角度の和がぴったり180度にはなることはない。しかし人は正しさを求める。私は正しい、と思っている。「私は正しい」という凶器で人を殴ったり刺したりしている。