父が光回線無線LAN装置の位置を二階から一階に変えようとしている。

いわく、wifiが遅いからだそうだ。カズレーザーかよ。

以前からwifが途切れるだの届いてないだの、忘れた頃にアホみたいないちゃもんをつけていたが、今度は元から変えようとしている。いやお前が10年以上前のノーパソ使ってるから遅いだけだと言いたいところだが、言っても理解できない。というか光回線を入れる時に散々説明した。引き込んだのが二階だから、一階に移動させるとなるとケーブルを一階まで這わせることになる。父ならそんなバカな話をやってしまいかねない。これで理系の大卒でなんだから、ボケるということは恐ろしい。特にな恐ろしいのは、こんなになっても自分は物を知っていると思っていることだ。偉そうな顔で講釈垂れたり知った風な口ぶりで難癖をつけてくることだ。なにがどうなっても。決して自分が間違っているとは認めてくれない。もちろん謝ったりはしない。なんでwifiの件を知ったかというと、電話で怒鳴っていたからだ。その理由は、104でドコモの電話番号を尋ねて、電話した先が東京のコールセンターだったからだ。父が電話したかったのは町のドコモショップなのである。自分で数秒で調べられることだし、間違っていたらすいませんと言って切ればいいだけなのに、まったく関係のない人に、そんなことではダメですねえ。勉強が足りないんじゃないですか?と嫌味な感じで絡み、怒鳴りつけていた。

正直な話、子供の頃からずっとそんなだった。自分の思い通りにならなければすぐに怒った。自分だけが最初から最後まで正しいのだと思い込んでいて、女も子供もなかった。世間様にだけは愛想が良かったのがなおのこと憎らしかった。会社を辞めてからも、ずっと上役気取りで指図したり、家族のミスは検察官のように追い詰めていた。近年になると、怒鳴りが増え、その怒声にどもりが混じるようになった。同じ話を繰り返すようになった。醜い部分だけが残り、酷くなっていった。この間、隣人の奥さんが町内会の件で来ていた時、怒鳴りつけていた。年寄りに限らず、こういう人をネットで見かけることが多くてさらに嫌になる。こういう人が身近にいるから目に留まるのかもしれない。などと考えてみても気休めにもならないし、おそらく誰にとってもそうなんだろう。近い将来、この人間を介護することになると思うと憂鬱でしかない。介護疲れで殺人するニュースを目にするたび、動悸が少し早くなる。自分はそんなことはしない、と思うことは誰にでもできるが、そう思うことに意味はないし、正気を担保するものでもない。わかっていることは、今よりも酷くなりつづけるということだ。この苦痛を和らげることができる救いは金か、もしくは死しかない。ずっと昔からそうだったのだろう。こういうつもりでやる人がいたのかどうは知らないけど、自ら腹を切って死ぬる文化というのもそう悪いもんでもなかったんじゃないかと思う。