方言

スーパーで35度のワンカップ焼酎とポテチのうす塩とチョコリエールを持ってレジに置いたその時、財布を車に置いてきたことに気づいた。車に財布を取りに行く途中に隣の車から降りてきた父娘とすれ違う。

「ねえねえお父さん、お父さんは何を買うの?」

小学の低学年とおぼしき娘を俺は二度見してしまった。一片の曇りもない完璧な標準語だったからだ。

俺が子供の頃には、子供が標準語を喋るなんて100パーセントありえないことだった。大人も然り。せいぜい都会(東京郊外)から嫁いできた奥様から聞くくらいのもので、それは超絶に珍しいことだった。

しかし今や物心ついたかどうかもわからない子供がすでに標準語を喋っているとは。

なんかもう、なんて言っていいかわからないけど、言いようのないさみしさがあった。

よくよく思い返してみると、都落ちしてからこっち、子供と喋る機会は非常に少なかったが、コテコテの方言を喋る子供の姿が思い出せない。まあいるんだろうけどさ、標準語がデフォになってる子供が少なくないっていう現実はあるんじゃないかと思うほどには、ね。

俺と同世代かそれ以上の人は、だいたいコテコテの方言をぶっ放してくる。

方言のアクセント、緩急、間の使い方で創る可笑しみというのは確実にあって、それは地元ならではのものということでは決してなく、話術という意味では覚えておいて損の無い、いや、地元だからこそ覚えておくべきパッシブスキルなのだと強く思う。でもいずれはこの地からも方言が消えていくんだろうなと思わざるをえない。

 

関係ないけど、俺が上京した時、絶対に標準語なんか使わないぞと、ずっと方言で押し通すぞと、わけのわからない意地を張っていた。専門学校で自己紹介した直後、「「だけん」ってなんだよぉ」と笑い者にされた。すぐ後に、そいつが隣の県の出身だと知った。そいつは初めて会った時からなぜか完璧な標準語を喋り、方言丸出しの俺をやたらと馬鹿にしてきた。最初はとても腹が立ったけど、学校生活も終わり、東京で何年も生活してふとそいつのことを思い出すと、そいつもまた、意地を張っていたんだろうなと思う。俺とは張り方が違っていただけで、もしかしたら似ていたのかもしれないな、と。