と、おもうよ

あの、夜の七時に浜ちゃんがやってるあの名前忘れたテレビ番組で芸能人が詠んだ俳句を査定する企画があって、あれが面白くて毎週観てるわけです。先生は辛口で、いつもほとんどの俳句をぐうの音も出ないほどダメ出しするんですね。それらのダメ出しは、要するに上でいうところのクドイに相当する部分なわけです。例えば「想う」って言葉を使ってたりするともうそれだけでアウトなんですね。

 

簡単に解説すると、例えば「故郷を想う」 的な使い方があったとして、ほとんどの人は「故郷」という単語を読んだその時、風景なり人物なり匂いなり音なり、故郷にまつわるなにかを否応無く想うわけです。だからわざわざ「想う」という単語を使って読み手になにかを「想わせよう」とするのは非常に無駄で野暮で押し付けがましくてクドくてキモい、ということになるんです。「おもう」という三文字は故郷についてより具体的に想ってもらうために使いましょう、と。

 

「夏」という言葉が言うまでもなく「暑さ」を想わせるように、たいていの言葉にはそれに付随する文脈や意味合いがひっついていて、その最大公約数に近しい表現はいらないよってことなんですよ。アツはナツいね〜なんていうくっだらないギャグも、こういった意味合いの重複があることで可笑しみが増しているわけです。

 

もちろん俳句に限らず、意味合いが重複して話や文章が脂っこくなってしまっているのってよく見られることで、自分も気をつけていてもなかなか上手くいかないなあと思っているわけで、上のトゥゲッターもそういうことが言いたいんだろうなあわかるわかると思いながら読み進めていったけどぜーんぜんそうではなかったようでやっぱりというかなんというか。