どうしてコメントから先に読んでしまうのか

この現実について納得できる言葉がずっと出てこないでいたが、なんとなくビビッときたので書き残しておく。テープ回してへんやろな。

 

限られた文字数の読み手の反応が列記されたものをザッと読むことで、本文を読む手間を省こうとしている、あるいは本文を読む価値があるかを雑に吟味しようとしている、と考えた。

一応補足しておくと、コメントは記事に対する読み手の反応だから、的を射ているかどうかやコメント自体の質とは関わりなく、あまねく記事の内容を受けたものになる。それがしょうもい自分語りであっても、くだらないダジャレであっても。

 

この自問自答に合点したわけだが、これはいろんな意味でよろしくないなあと思ったわけで。

 

文字を読む暇が無い、そんな生活などとは縁がないのに、ネットで目につく記事を読むことを煩わしがっている。しかしなにか文を読みたがっている。そして出会う記事はだいたい読む価値がなかった。こういうことを繰り返しているのだ。だから徐々に記事を読むこと自体がめんどくさくなっていき、しまいにはブコメを流し見ることでなにかを読んだ気になろうとしている。昔は手当たり次第に文字列を読んでいた。年をとったから読まなくなった、とは違うような気がした。

で、コメントである。私はあらゆる記事につけられるほとんどのブコメを否定的な目で見ている。そのことをひとつひとつ説明する気力はないが、学校なり組織なりに必ずいる嫌味な奴、うるさい奴、人の話聞かない奴、自分の話しかしない奴、説教ばかりする奴、自分のことを頭がいいと思っている奴、人の失敗の話しかしない奴、そういう奴に向ける目でコメント欄を見ている。よく見るアカウントは例外なくそういう奴だ。始めた頃は全く意識してなかったけど、ものすごく質が落ちた、というか薄く浅くなったように思う。

判断基準が明確に間違っているのだ。設題も選択肢も間違っている。わかっているけどなにもしたくない。惰性のみだ。あげられる記事も読む気にならない。せいぜい時事ニュースくらいなものだ。当然の帰結だ。だからよろしくない。それはそうと、増田なんてほとんど初期ブクマ古参グループの寡占状態なんじゃねーか?

もっと文章を読みたい。しかし読みたくないものしかそこにはない。でもめんどくさい。他にめぼしいものもない。ここ数年、このループを廻り続けるうちに慣れてしまっていた。こんなことを書いた後も同じように廻り続けるだろう。そのうちそのすべてに嫌気がさすのだ。そうなりつつある。ブログを書かなくなったのもそのループのひとつであるということだろう。モチベーションとか文章書きたい欲とかそういう次元ではない、そんなものは環境次第でどうにでもなるということだ。やっぱね、そういうところに属している、というそれだけでげんなりするわけですよ。今のよしもと興業の騒動を松本一派以外の所属芸人はどういう目で見てんのかって話ですよ。少なくとも今はそうだし、こうして書いたということは、状態がいくぶんマシになったということでもある。のかもしれない。

やめるとかやめないとかじゃないけど、まあ長く続いてると思うよ。

 

ちなみに、アマゾンなんかで買い物をする時もレビューを読む。めっちゃ読む。星の数や評価よりもその内容を重視している。褒めるにしろけなすにしろ、具体的にしっかり書かれたレビューが多いものを購買候補にしている。