人生が公正だなんて誰が言った?

いつの時代も、どのような社会も、公正であったことはない。

例えば、人を殺しても無罪になる人間がいる。法律で裁かれない人間がいる。

例えば、コンビニで何かを買う時、それが誰によって、どのように作られ、原価がいくらで、いくらで仕入れて、いくらの儲けがあるのか、本当にその対価が適切なものなのか、消費者が知ることはできない。

世の中が公正では困る。おそらくすべての人間がそう考えている。

俺もそうだ。もし完全に管理されたすべてが公正な社会に生まれてしまったらと思うと恐ろしい。人間はロボットではない。ズル休みだってしたいし、見て見ぬ振りもしたい。子どもが公正であろうとしたときに大人たちが必ずそれを諌めるのは人生の難易度が上がるからだ。とはいえ、不正ばかりの社会も反吐がでる。あらゆる組織は不正によって成長し、不正によって破綻する。

俺が言いたいのは、納得して参加したくせに、負けた後になって、なにかと理由をつけて罰を逃れようとする奴のことだ。じゃんけんで負けたのだから全員分のジュースを今すぐに買ってこい。

ギャンブルは、社会が必然的に発明した世の中でう唯一の公正な、あるいはもっとも公正に近い取引だ。ギャンブルが成立するということは、そこが公正な場であろうとしていることを意味する。実際にはそうでない場合もあるし、そういう場には不正を働こうとする人間が寄ってくるものだが、それは別の話だ。

スポーツやギャンブルに人々が熱狂し、その喜びや悲しみを共有できるのは、そこがこの世でもっとも公正な場所だと信じているからだ。実力が正しく評価される場所だと信じているからだ。不正には必ず相当の罰が下されると信じているからだ。そして社会が不実でまみれていることを知っているからだ。