という異世界

悪いこととはわかっていながらもほんの軽い気持ちでやった悪事が、そんなこともすっかり忘れてしまった頃に、周りが「なんでこんなことに?」と騒ぎ出し、取り返しのつかない段になってようやくヤバめのやらかしだったことに気づいたが、今のところ自分の仕業だとはバレていなく、神に祈りながら周りが現状を確認している会話に耳を澄ましていたら、そう遠くない未来に自分に行き着いてしまうことがわかってしまった時の、あの全身の血管がぞわぞわする感じ。子供の頃に何度となく味わったあの感じ。なにもかも自分が悪いのでなんの救いもないあの感じが、ひさしぶりに到来した。これを書いているのは現実逃避以外のなにものでもない。完全に絶望しかないのだが、同時に、生を強く感じる。そうだ、人間は不幸な時にこそ生きているという実感が得られるのだ。ながらく忘れていた。ずっと忘れていられればよかったのに。まあ実際にやったことは書きたくないのでだいぶ盛ってはいるが、やっぱこの感じはやだねー。

心から思う。自覚的に人を騙して生計を立てているような人は、この血管がぞわぞわする感じとどう折り合いをつけているんだろう。やらかしたばかりの自分が言うのもなんだが、俺はこの感覚と共に生きていくことには絶対に耐えられない。耐えられなかったと言った方がいいかもしれない。まあ大した悪事を働いたわけではないが。慣れの問題で、そんな感覚などすぐに麻痺してしまうのだろうか。それとも、そもそもそんな感覚など持ち合わせていないのだろうか。

白状するが、もし、この世に生を受けてからこれまでに擦り込まれた倫理観や良心のようなものが一切合切存在しない異世界に転生して、就職だか進学だかの面接で自己アピールを強要されたとしたら、俺は一点の曇りのない健やかな顔でこう答えるだろう。「私には詐欺師の適性があります」と。しかし今生ではそうした生き方はできそうにない。してはいけないと決められているからしないのではなく、できないのだ。適性があることはわかっているのに、その生き方に耐えられる精神を持つことができなかった。これまでの人生で、そのような精神を持つべきではない、と何度も思いしらされてきたからだ。とはいえ、もちろん清廉潔白な生き方が出来るわけもなく、なんやかんやで人に迷惑をかけながら、嘘をつき、他人や自分を裏切り、立ち小便をひっかけながらこれからも生きていくことになるのだろうが、やはりそれを生業にすることはできそうにない。とか言いながら、また忘れた頃にやらかしてしまいそうな気がして仕方がない。そういうあやふやで頼りない精神の持ち主として生きて、死んでいくのだろう。

ところでブログじゃなくて日記をつけてる人ってこういうことをありのまま誠実に記録したりすんのかね。日記っていったいなんなんだろうね。