戦闘妖精雪風なんなん?

1984年」読了。面白かった。

面白かった創作について「面白いから是非」以上のことを書くと余計な先入観を与えてしまうからあまりよろしくないと思う。前情報が何もない状態で新しい良品に触れる喜びは何にも変えがたい。しかしレビューも書かないで面白いから読めと言われても信用できないよね。おススメを信用してもらうためにはいいレビューを書くしかないっていうジレンマ。まあ雑文でもその役割は充分に果たすとは思うが、でもなんかそういうわけでもなさそうな気もする。基本的に人の能力は当てにしちゃいけないし、自分をそういう立ち位置で見ている人も皆無だろうし。

 

1984年」が届くまでの間に「戦闘妖精雪風」を購入していた。旅行から帰ってくるとすぐに読み始めたのだが、これがまあ控えめに言ってつまんない。これをおススメしてる記事をいくつか読んで購入を判断したけど、やっぱりというかなんというか。この「それっぽい固有名詞を羅列するだけの中身の無い話」ってなんなん。空気とか雰囲気とかそういうものがまったく描かれてないっていうね。刀キンキンキンのほうがまだマシなんじゃないかってくらい言葉による表現がないのよ。例えば以下

 

マスター・テストセレクタを機上チェックモードにセット。スロットル-OFF、武装マスターアーム-SAFEを確認してから、セルフテスト・プログラムのスケジュールに従ってプログラマブル電子機器類のテスト。飛行・航法用各種センサにテスト用擬似信号を入力しながらエアインレット・コントロールプログラマ、オートマチック・フライトコントロール・セット、セントラル・エアデータ・コンピュータ、スロットルコントロールのオートモードなどの機能をシミュレートチェックする。

 

なんだよこれ。一事が万事こんな調子で何がどうなってんのかわかんねーっていう。これいる?っていう。なにが怖いって始めから終わりまでこれらの用語が何の解説もなくいきなり当たり前のように現れまくるってこと。これらの言葉だってちゃんと設定があって創られたものだったらまだ我慢できるけど、ただ「それっぽさ」を演出してる都合のいい言葉でしかないんだよね。例えば飛行機に乗って移動するのを描写するのに計器類の名称だけで表現したってそこに映像は出てこねーだろって話なんですよ。

 

なんか既視感あるなと思ったらあれだ、伊藤計劃の「虐殺器官」だ。同じですよ。先人が創った世界観をまるっと流用してそれっぽい用語で塗ったくって陳腐で幼稚な哲学もどきを小さじ一杯振りかけたやつ。これどっちかを評価してる人はもう一方も同じように評価してるんですよね。まあ当たり前だけど。「戦闘妖精雪風」はかなり前の作品だし所詮高校生向けの娯楽程度のもんだからまあそんなもんかと思わないではないけど、この流れが30年以上まったく洗練されることのないままきてるって大丈夫かと思わないでもない。「1984」は「戦闘妖精雪風」よりも前に出版された本だけど、比べるのが失礼なくらいの、同じ言葉を使った物語とは思えないくらいの圧倒的な差があるわけですよ。

 

まだまだ言いたいことが山ほどあるただただガッカリな「戦闘妖精雪風」なんだけど、勢いで2作目もすでに買ってしまってるのがマジでキツイ。好みとか以前に根本的なところで合わないから今後面白くなることは不可能なんだけどそれでもまあ読む。