未来と過去と現在は同時に存在しています

例えば、十近く離れてるような年下の人を見ていると、過去の自分を見ているような気持ちになることってあるじゃない。老婆心っていうんですか。何か言ってあげたくなったりしてさ。これって逆に言えば、年下の人にとって年上の人っていうのは未来から来た人とも言えるわけですよね。

普通に考えたら、未来から来た人が言うことは、一定の信ぴょう性があるわけじゃん。「これからどうなるか」とか「どうすればいいか」ってことについて傾聴すべきアドバイスを送れるはずなんですよね、未来から来たんだから。

でも、色んな物語でもそうだったように、やっぱり未来は変えられないんだなあ、なんつって天を仰ぐような徒労感的な無力感的な、そういったことになることがほとんどなわけじゃないですか。説教されてる方としても、うっとおしいなあなんて思っちゃうわけですよね。

これについては、未来から来た人側に問題がある場合がほとんどだと思うんですよ。と言うのも、未来だろうが人は人なわけですから、そのアドバイスがただの老婆心からくるものではないからなんですよね。本来のあるべき姿の未来からの警句に保身だったり利己心だったり自己顕示欲だったり支配欲だったり、そういったノイズが多分に混入してしまうわけですね。人間だって普通に愚かですし、弱肉強食の世界ですからね、まあ普通はそうなるよねってなもんです。だから絆って大切なわけですよね。それだけノイズが減るわけですから。しかしそれだけではなく、そもそもその現象を正しく認識できていない場合も相当にあったりしますですよ。年上からのアドバイスがうっとおしいのは、そういったノイズのせいなんですよね。モスキート音みたいなもんですよ。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」なんて言葉がありますけれども、経験に学ぶと上に書いたようなノイズが比較的多めに入りがちだよね、ってことだと思うんですよね。

それでも、未来から来たということはまぎれもない事実な訳じゃないですか。いやまあ事実ではないんですけど、年上だからこそ言えることってやっぱりあるわけですよ。過去の人がまだ経験していないことを既に経験しているわけですからね。その経験則によって未来を変えることは可能なわけですよ。そのためには、アドバイスとおぼしき何かから、ノイズをキレイに取り除いて、真なる情報を取り出す必要がある、ということですね。その精度を高めることは、未来予知の力とほぼ同義なんですね。

つまりこう言えるんです。私は誰かにとっては過去の存在で、誰かにとっては未来の存在なわけですよ。それは単純に重ねた年齢にはよらないんですよね。未来と過去と現在は、今この瞬間に確かに存在しているんですね。なんか凄くないですか?

そんな私からあなたに授けられる真なるものは、授業中に暇だからって、頬杖ついたついでにもみあげを指でつまんでシャリシャリしてると、もみあげだけテンパになって後でものすごく後悔するぞってこと。信じるか信じないかはあなた次第です。