巡礼者

四国に住んでいると何かにつけて巡礼者を見かけるのだが、外国人がものすごく増えた。
巡礼者を3人見たら1人は外国人なんじゃないかってくらい増えた。現地住民とは思えないくらい気合いの入った格好でしっかり歩いてる。
一応言っとくと、彼氏彼女らがやっているのは四国八十八ヶ所巡りというやつで、真言宗の宗主、空海ゆかりの八十八ケ所の寺院を歩いて巡るものだ。
ほんで、外国人の巡礼者が田舎道を1人で歩ってるのを見かけることが多くなったわけだが、これが全員イケメンなのである。そして全員白人だ。アジア系や黒人は1人たりとも見たことがない。ガタイが良くて、口髭顎髭を短く刈り込んだスティーブ・ジョブズみたいなスラッとした白人ばっかりなのである。スッティーブの影響でアメリカのホワイトカラーたちの間で禅の思想やヨガや瞑想なんかが流行っていることはウン年前から何かと報じられているところだが、こんな形で実感することになるとは。
そんな外国人巡礼者を車で追い越すたびに、色々と思いが巡る。彼らは一体どこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか。やおら車を降りて「ところでうぬは真言密教をご存知か」などと雷電面をしたらどうなるだろう。マーシャルアーツでぶっ飛ばされるかしら。
例えば日本人が、例えばサグラダファミリアなんかのキリスト教ゆかりの建物に行ったとして、キリスト教について思いを馳せているなんかほとんどいないだろう。せいぜいiPhonewikiって「ガウディすっげー」なんて言いながら自撮りしてインスタに上げてイイネもらって行きずりのセックスして性病もらうくらいが関の山だろう。というのは言い過ぎだが、それらのほぼ全てはしょせん観光旅行でしかない。
しかし八十八ケ所巡りはそういった観光とは一味違う。なんたって四国にある八十八ケ所の寺院を歩いて廻らなくてはならないのだから。最低限の生活用品を詰め込んだ大きなリュックを背負い、菅笠かぶって白衣を羽織って金剛杖をついて、寺から寺へ何キロも何キロも歩かなければならないのだから。一度で一気に廻るのじゃないとしても、軽い気持ちでやることじゃないしできることじゃない。だから自撮りをしている人なんていないし、わらわらと群れなして歩いているわけでもない。右も左もわからない田舎道を1人でひたすら歩っているのだ。
彼らはこの苦行で何を得ようとしているのだろうか。苦行を通じて自分と対話したいなら何もわざわざ日本にこなくても自分の国を歩いて廻ったらいいだろうに。八十八ケ所廻り終わったら「よっしゃ次は西国三十三ヶ所いってみっか」となるのだろうか。
寺に参って何をしようというのだろうか。英語でお参りして「ゴシュインクダサーイ」なんて言ってるのだろうか。寺側も流石に慣れているだろうから各種手続きは滞りなく済ませられるだろうが、まさか寺で自撮りしていないだろうな。
それらの情報を一体どこで仕入れているのだろうか。オフィスで上司と普通にそんな話をしているのだろうか。googleに四国八十八ケ所とローマ字で入力して検索しているのだろうか。どういうネットワークがあるんだろうか。
トイレとかどうしてんだろ。今はもうコンビニがそこここに出来ているからトイレそのものの供給量は問題ないはずだが、外国人にトイレを借りるために店舗に入るという考え方はあるのだろうか。もし私がアメリカ大陸を歩いて横断していたとして、荒野に一本道が通っているだけのような場所にぽつんとあるバグダッドカフェみたいなところに便所を借りる為に入る勇気なんてないし、一杯やる気にもならない。そう考えると、まれに見かける畜生の仕業とは思えない太ましい糞の中には巡礼者のものも含まれているしれないという気になってくる。なんか巡礼っぽいからそうあってほしい。