2010年代の音楽がクソだというけれど

 

「2010年代の音楽はクソだっ」という意見のまとめ - Togetterまとめ

 

これ。ちょうどJITTERIN'JINNを聴いている時に目についたから読み耽ってしまった。
少なからず反響があったようでいろいろ意見を読んだが、どれも結局個人的な好き嫌いの話で終わらせていたのがすごく残念だった。

要するに今の邦楽は大衆から逃げてるよねっていう話なんだと思う。

90年代に限らず、それよりも古い時代の音楽は誰もが気持ちよく口ずさめる「うた」があった。パンクスでもBBOYでもクラバーでもKANのあのうたはみんな覚えているし、ZARDのあのうたもみんな歌える。今はそういう「うた」がないよね、それってどうなの?って話なんじゃないか。

嘆きの主はそういう意味でAKBを絶賛しているのだと思う。それが皮肉なのだとしても、私もそういう意味では異論はないし、ゴールデンボンバーなんかもそういう意味では評価されるべき存在なのだろうし、星野源の「恋」は国民的な認知度でいえば90年代のヒットソングと比べても遜色ない。

確かに国民的な歌謡曲がないわけではないのだが、それらのヒットになんだかよくわからない不自然さというか気味の悪さを感じる。つまるところ、それは宣伝の多さとその手法の下品さにあるんじゃないか。

最近だとMOROHAが一時期集中的にテレビ番組に出てゴリ押しされたけど、バラエティ番組で芸人やモデルやアイドルに散々ヨイショさせて、良いイメージを植え付けた後で「それでは聴いてください」となる構成の宣伝ばっかりで、通販番組を見ているようで辟易した。そういう下品な宣伝の後で、何者にもなれずにあがく底辺の一個人の叫びみたいなクセが強いポエムを真顔で披露するアホらしさよ。タモリがいかに誠実かってのがよくわかる。
もちろんそれで音源は売れるんだろうしそこからファンになる人もいるんだろうけど、そういう売り出し方がダサくて下品だと思う視聴者がたくさんいることをミュージシャン側もいい加減自覚してほしい。「そういうゲスい宣伝の方法を受け入れた」という事実がその音楽性に負の印象を与えることについて自覚的であってほしい。ちなみにMOROHAのボーカルはスシローの宣伝のあの声をあてている人でもあるわけで、ソウルフルで独りよがりな底辺ポエムを聴いて、うむむ、、、となっているところに
「プリップリのっっっ!ェェェェエエビッッッ!!!」
「スシロー!スシロー!」
なんて屈託のないCMシャウトが割り込んできたら興ざめもいいところなわけですよ。

今昔日本でヒットしてるのは大体の上に書いたような下劣な宣伝の集中投下よるものしかないという疑いようのない事実があって、それは90年代のころも変わらなかったはずだから必要なものではあるんだけど、宣伝の量と下劣さは年を追うごとに酷くなっている。最近はステマはダメっていう風潮が一般にも拡まってきてるけど、それでも無くなってはいないし無くなるわけがないし、はっきりいって視聴者がそれをぜんぶ判別できるのかっていったら絶対無理。モノが売れなくなったから酷くなったのか、酷いからモノが売れなくなったのかもうわからんけど、嘘大げさ紛らわしいの分量が昔は人間における水分の割合くらいだったのが、いまはもうクラゲレベルにまでなっちゃってるのはほんとどうかと思う。

つっても、星野源みたいに、地道に地道に続けてきた間違っても大衆受けしそうにないインストバンドSAKEROCKとチョイ役からの俳優活動が長い年月を経てようやく身を結び悪魔合体して、ドラマの準主役として大衆受けする歌謡曲をひっさげてメインストリームに降臨するという事例みたいなこともあるわけで(福山雅治なんかもこれに近い感じがある)、星野源サッポロビールのCMで

妻夫木:恥ずかしさってある?
星野:全部恥ずかしい。恥ずかしいままやるっていう人の方が、品があって好きかな。
妻夫木:これから先の人生の中で、やりたいことって?
星野:みんなに伝わるようなものって、過激じゃないっていうふうに思ってるけど、本当は一番過激なことだと思ってて。俺の戦う場所だと。

こういうこと言ってて、趣味的な音楽活動をやりつつ、大衆受けをすごく意識しながら地道に活動してきて、やっと望んでた舞台に立ったところなんだなと思うと素直に応援したくなる。

まあ話がこんがらがった感あるけど、今の音楽シーンは大衆受けを意識するってことと正面から向き合うミュージシャンが少なくなったってことで、そういう系譜を無視したエゴの強い浅い表現の聞くに耐えなさは、音楽が終わったというよりは日本社会の世代の断裂を象徴しているよう思える。

 

SAKEROCKの季節 BEST2000‐2013

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