贅沢な死

癌と何年も闘病している父方の祖母は齢九十になるが、月初めの日曜日に駅前の喫茶店で同級生と昼食をとる。同窓会と称して集まり、互いの生存を確かめあっているのだ。私が行きを送る。帰りはタクシーだ。そんな祖母が具合が悪いと言うので母が病院に連れて行ったのだが、そのまま入院することになった。次の日、家族分の喪服がクリーニングに出された。そんなに危ないわけじゃないんだけど、とは母の弁だが、予感というやつはけっこう馬鹿にできない。少なくとも来月の同窓会には出席できそうにない。

一ヶ月くらい前、隣の家の主人が自死を遂げた。私が子供の頃から車の修理屋を営んでおり、そのガレージで首を吊っていた。夜中にそれを発見したのは齢九十の主人の父だった。主人はまじめで気のいい男だったが、長年仕事でシンナーを吸い込んでしまったせいで頭がヤられてしまっていた。主人の妻は私が子供の頃に癌を患い四十で亡くなっており、息子も二十代で癌を患った。息子はなんとか一命をとりとめたが、それ以来実家に戻り、家業を継いだ。

母方の祖母が亡くなったのは介護施設だった。食事を喉に詰まらせてそのまま逝ったのだが、意識も朦朧とし出していよいよかという時に、施設側から申し出があった。それはまわりくどく言えば、その事実をそのままインターネットに書けば、その施設と私の家族を口汚く糾弾しようとする輩が押し寄せてくるだろう申し出だ。しかしその申し出を一族は了解し、その数日後に祖母は逝った。

医療の発展めざましい現代にあっても、やはり人は死から逃れることはできない。母が死期を予感したように、祖母当人もそのくらいの予感は働いているだろう。本やテレビで日本や外国の昔の生活に触れ、上記のような自分のすぐ近くにある死に触れるたびに思うのは、死ぬ時と死ぬ場所と死に方を選べる自由こそ、今生における最たる贅沢ではなかろうかということだ。

私の知る唯一の贅沢な死は、老衰で逝ったひいひい婆さんだ。自宅の広い座敷の真ん中に敷かれた布団。親類一同が布団を取り囲むようにして座り、代わる代わるお別れの挨拶を交わした。婆ちゃんは私のことを忘れてしまっていた。