ライトノベルと時代小説

この一ヶ月で三冊の本を読み終えた。ちょっと思ったことを書く。

読んだのはこの三冊。

 

QED 百人一首の呪 (講談社文庫)

QED 百人一首の呪 (講談社文庫)

 

 

 

秘剣流れ星 (春陽文庫)

秘剣流れ星 (春陽文庫)

 

 

 

覘き小平次 (角川文庫)

覘き小平次 (角川文庫)

 

まず簡単に感想を。

この中ではっきり糞だと言えるのはQED百人一首のやつだけでした。

設定のおざなりなキャラに延々語らせるだけの目が滑る構成とか固有名詞の選び方とか使い方の鼻に付く感じとか、質より量の現代日本でよく見かけるズボラ飯的三文小説でしかなかったです。四、五百ページはある本書で事件やトリックに割かれたページ数はなんと全体の二割ほどでしかも超適当。ほとんどは百人一首の解釈に費やされており、その独りよがりな説明のオンパレードは、ただ参考文献を切り貼りしてドヤりたかっただけなんだなあという感じ。おそらく彼の作品は対象年齢を小学生に設定してあるのでしょう。読むだけ時間の無駄でした。

 

秘剣星流れは、漫画シグルイの原作となった駿河城御前試合でおなじみの南條範夫氏の作品で、シグルイは星流れという奥義が話の核にあるのですが、本作とシグルイとの接点は無いものと考えて差し支えない感じでした。昭和に書かれた小説なんだなあという感じで、さしたるオチもなく、淡々と話が進んで終わるような、それでいて不快になるわけでなく、一陣の秋風が吹き去ったような、なんとも言えない小説でした。

 

最後に京極夏彦氏。正直期待していなかったのですが、めちゃくちゃ面白かったです。いわゆる幽霊ものでジャンル分けするならホラーなんですけど、江戸時代の幽霊話ではありながら、そこはやはり現代に書かれた小説。現代人の抱える闇というか業と虚無が哀しく妖しく描かれていて、とても共感できました。みんな色々抱えて生きたく無いのに生きていき、死にたく無いのに死んでいくんだなって、なんかそんな気持ちになりました。

 

んで、京極夏彦氏を読みはじめた時、のっけからなんとも言えないエロさを感じたんですね。文芸ならではのエロさっていうか。別に性描写があったとかそういうのじゃなくて、言葉で情景がアブストラクトに彩られていく快感というか興奮というか。そういう文章を読んだ時に、俺は「面白い」と思うんだな、と痛感させられましたし、嫉妬しました。

 

やはり小説ってそういうものであるべきではないか、と思いました。例えばピース又吉が「火花」で天下を獲りました。賛否両論あったわけですが、冒頭の祭りの描写からして彼の文章はまぎれもなくエロかったわけで、それは色眼鏡を抜きにして評価されるべきものだったと思います。

 

 一方で、百人一首の糞小説も、そびえ立つ糞とは言えどもメフィスト賞受賞作であり、そこから作者の作家生活が始まったわけで、その後もたくさんのゴミが商品棚に並んでいるわけですが、それはそれで枯れ木も山の賑わいと言いますか一応の存在意義はあるわけです。文芸的なエロみが無かろうと、話が糞つまらなかろうと、工場で作られるコンビニ飯のごとく定期的にひりだして商品として流通させることに意味があるわけです。

 

いわゆるライトノベルと呼ばれているものも、そういった意味で量産されていると考えると合点がいきます。これの場合は、一般的には対象年齢が低く、文芸的なエロさではなくエロ本的なエロさが強調されているわけで、そういうものに文芸的なエロみを求めるのは筋違いなわけですし、もっと言えば文章力すら必要ないのです。

 

というのも、ライトノベルと呼ばれるものは、ほとんどの場合アニメ化やゲーム化を前提として書かれていますし、見る限り全てのそういった小説の表紙にはそういった絵が描かれています。読み手も既存のアニメの絵柄や背景を想像しながら読むので、わざわざ言葉や表現を選りすぐって読み手の脳内に景色を描く必要がないのです。表紙に描かれる予定のキャラクタを喋らせていればいいのです。

 

そしてアニメの描く世界というのはほとんど似通っています。例えばアニメによって絵柄が極端に違ってくるというようなことはないですから、文章力無くても、あえて描かずとも、さまざまな読者が描く世界はある程度一致してくるわけです。アニメを観るときに、背景や小道具の描写までいちいち目を光らせて観る人はほとんどいません。キャラクタが動いてかわいらしい声が当てられていれば、後はそれなりにやってくれていれば大した問題にはなりません。

 

これって構造的に時代劇同じなんですね。

例えば江戸時代の話、と聞いただけで、ちょんまげ結った侍が刀をぶら下げて砂利道を歩いているとか、団子屋だ蕎麦屋だとか、お城には恰幅のいい腹黒そうなオヤジが女囲ってるとか、お代官様に帯をクルクル回される芸者とか、誰もが思い浮かべることができるはずです。誰に言われるまでも無く世界観が浸透しているんですね。だから小説が書きやすいし受け入れられやすいんだと思うんです。

 

本屋に行くと、必ず時代小説のコーナーがあります。駅の本屋でも、狭いスペースの中でも必ず一定の広さが時代小説のために割かれています。古本屋でもやはり時代小説はたくさん置いてあります。それだけたくさんの人に求められているのですね。

 

かつての時代小説がミステリに置き換えられ、それがライトノベルに置き換えられつつあるのが、現代なわけです。直接的とはいえエロさもどんどん過激になっているし、トリックもさまざま考えられました。それらはあまねく映像化されて表現が洗練されています。

 

アニメの心理描写は映像に比べてまだまだ洗練されているとはとても言えませんが、アニメならではの白眉の工夫が施された作品は増えましたし、これからも増えていくのでしょう。それは文芸的なエロさとは違った方向の進化と言わざるをえませんが、これからは文芸的なエロみもまたどんどん映像化されていくようになるのだろうなあと思いました。

何が言いたいのかよくわかなくなったけど、京極夏彦魍魎の匣のアニメ版面白かったです。