どよう2

世の中には2種類の人間がいる。

スポーツ新聞を家で見る人と家では絶対に見ない人だ。

私は後者だが、後者の人は出先に置いてあるスポーツ新聞を読む。つまりスポーツ新聞を見る機会はあまりないのだが、そんな私がスポーツ新聞を読むのは詰将棋があるからだ。私はスポーツ新聞のどこかに載ってる詰将棋を制限時間内に解けるくらいには将棋ができるので、飯屋とか出先でのちょうどいい時間潰しになる。

よく行く飯屋には2種類のスポーツ新聞が置いてある。店に入ったところに置いてあるのをまず取って席に着く。このスポーツ新聞、スポニチとサンスポだったはずだが、ムカつくことにどちらかのほうは詰将棋が載っていない。そして私は詰将棋が載っているほうと載っていないほうの新聞の区別がいまだにつかない。いまのところ阪神が一面になるほうと広島が一面になるほうという違いしか明確にわかっていないが、それがどちらなのかがもうすでにわからない。だから詰将棋が載っていないほうを取って席に着くことがあり、最近そればっかりだ。

最近、政治がゴタゴタしているみたいで、解散総選挙があるとかないとか。ワイドショーなんかでは「本人」と書かれたタスキをかけて選挙活動をしている人が取り上げられることがあるが、私の地域ではそんな人はまだ一回も見ていない。その代わりといってはなんだが、国道沿いに政党名が書かれたノボリ持って立っている人を見る。これまでに2回見たが、公明党幸福実現党だった。さすが宗教法人は人手があっていいね。なんて思うわけもなく。

まず思ったのは、アンフェアだなあとうことだが、よく考えたら、どこの誰とも知らん奴が朝の国道でノボリ持って立ってるのを見て「がんばってるねえ、ここに投票するか」と決める人なんて1人もいないよな。要するにこの活動は党のためでももちろん俺たちのためでもなんでもなく、宗教組織内のヒエラルキーの問題であって、ノボリを持って立つことに決まった人がただそれをやっているだけの話なのだ。んで宗教組織に属している人はいろんなところにいるから、車で通り過ぎる人の中にももちろんいるわけで、そういう人を見つけたら「お疲れさん」的にお互いに頭下げたりなんかしているのだ。

どちらも宗教組織だが、当然というかなんというか、やっぱりこういうことに駆り出されるのは老人が多い。暇なこともあるが、やはり切実なのだ。個人的な経験から導いた独断と偏見だが、生活保護を受けている老人は宗教組織に属している場合がとても多い。それは宗教組織が老人特有の経済的な困難や孤独を和らげてくれるからだ。生活保護を受けている飲んだくれのじいさんたちが創価学会に投票してくれと言ってくるのは、日本が良くなるからとか日本の未来のためにとかそういうことでは決してなく、あくまでも自分たちの利益になるからである。逆にそれ以外の理由である党への投票を薦める人がいるだろうか。俺が政治に興味が持てないのは、俺の利益を代表してくれる候補者がいたためしがなく、そんな党があったこともないからである。

政治家が本当にやらなければいけないのは政策の話でも対抗馬の批判でもなく、私に投票したらあなたにこういう利益がありますよ、と有権者に伝えることである。小沢一郎だか誰だかが、雨の日も雪の日も毎日路頭に立って演説したり足繁く挨拶回りをしなきゃいかんというようなことをずーっと言っているが、情に訴えるだけで具体的な利害関係の提案をしないのは、はっきり言って寸借詐欺と何も変わらない。

アメリカなんかだと、選挙は明確に利害関係の対決であるから、誰が勝てばどういう人が得をするかが明確だ。だから有権者は自分たちの利益を代表してくれる候補者を迷いなく応援できるのだ。対決の理由と利害関係がはっきりしているからあんなにも盛り上がれるのだ。このへんは格闘技の煽りとも共通する。

翻って日本は、誰が勝つと何がどうなるのかが非常にわかりづらいし、政治家はいつもそういうことをはぐらかす。どうせ党代表ってことはある程度の組織票が確定している状態で、俺のような無党派層をどう取り込むかってところが、クリティカルかどうかは知らないけど勝ち負けを決する要素の一つとなっている。無党派層や投票しない人は、利益を代表してくれる人がいない人たちってことだから、誰に入れても誰が当選しても何の得もないわけで、基本的には今の政治すべてにノーを突きつけたい人たちなわけだけど、それでもどれかを選ばなければならない状況を突きつけられた時には、消極的理由から選ぶことになるだろう。例えばどこの党の誰それは不倫をしたからダメだとか、あいつはブラック企業の創業者だからダメだとか、そんなことで選ぶ票も一票には違いないけど、そんな清すぎる一票が半分以上もあるから、毎日ワイドショーがかしましくどうでもいいスキャンダルばっかり取り上げてるわけで、もうなんかとりあえず全員死ねってなる。