言葉は無力

父方の祖母がガンになってもう数年、手術したり入院したり、だましだましやってきた。最近調子が悪くなり緊急入院したのだが、病院は居心地が悪いらしく、数日で退院してきた。
まあ長く生きて一年くらいらしいのだが、結構ヤバい。
何がヤバいって、何がヤバいのかを理解できなくなってしまっていることだ。
例えば、「テレビの調子が悪い」と機嫌悪く当たってくることがあるのだが、原因はリモコンのボタンの効きが悪くなってしまったことにある。リモコンのボタンの効きが悪くなったのは、いつもボタンを強く押し込んでいるからだ。いわゆる悪循環にハマってしまっているわけだが、「ボタンを強く押さなくてもいいんだよ」「強く押すとボタンが潰れて効きが悪くなるよ」ということを、何度言っても理解してもらえないのである。かれこれ一時間説明して、分かってもらえたと思った次の瞬間おなじことを聞き返されるのである。こんな調子なので、別のリモコンを手配してもまた同じことを繰り返すだけなのだ。
例えば、毎日三回、数種類の薬を飲まなければいけないのだが、朝に何を何錠飲むのか、これがまったく理解してもらえないのである。朝飲む薬の説明に祖母はうなづくのだが、次の瞬間、朝飲む薬を指差して「で、これはなんや?」と聞いてくるのである。こんなことばかりなのだ。それでいて自我がしっかりしているところもあるから難儀する。
まるで志村けんのコントみたいな話だが、世話をする側になってみると笑ってはいられない。私だったら麻薬中毒者と謗られるくらいの頻度で祖母にはモルヒネがぶち込まれているわけだけど、酩酊とボケの波状攻撃は想像以上にキビシかったわけで。言葉の無力さを痛感しているわけで。
じゃあこういう時どうするかって、言葉で説得するんじゃなくて、そうならないようにこちら側が先回りして対処しておくしかないわけで。例えばテレビだったらリモコンじゃなくて昔のダイアルをガチャガチャ回すタイプのテレビだったらリモコンのボタンが潰れることはないし、薬も誰か他の人がまるっと管理すれば、飲みすぎたり飲まなかったりを防げる。
要するに、当人の裁量のいくらかをこちら側に持ってくるしかないわけで、人の時間と手間と金を割くしかないのだ。非効率だろうと不合理だろうと、もうそうするしかない。