めちゃめちゃ暗い話なんだけども、数年前、あるブログを夢中で読んでいた。具体名は伏せるが、ブログ主の彼は、自殺を決意していた。

勤めていたエロゲーの会社を退職し、あとは働かずに貯金で生活、お金が尽きたところで死ぬという。ブログには、死をむかえるまでの日常が、丁寧な筆致で綴られていた。その人がブログに書いた最後の記事は、「これから樹海に行きます」だった。 

彼女が自死した男について想像力を働かせた結果、炎上した。詳細については上のブログとブックマークを読んでもらうとして、私は彼女のことを想像をしてみたい。

 

まず、彼女は男のことを理解したかったのだと思う。そうでなければブログを夢中になって読むはずがない。そして彼女は最後まで男のことが理解できなかったのだ。彼女の今回の記事を読んで、彼女は男のことはたぶん理解できないだろうということを薄々わかっていたのではないだろうかと思った。読んでいくうちに彼の考えを否定するために読むようになったのかもしれないとすら思った。理解できないから気になる。理解したくなる。でもやっぱり理解できない。そうなると相手を否定せざるをえなくなる。

 

もちろん、他人様のことを理解できたかどうかなんて簡単にわかることじゃないけれど、私がそう思ったのには理由がある。

 

彼女は、自死した男の動機について何も触れていない。

 

普通、「自殺します」なんて言う人がいたら、「どこで?」よりも「どうやって?」よりも「いつ?」よりも何よりも先に「どうして?」という疑問が出てくるだろう。別に自殺じゃなくても、自分が理解できない、わからないことをしようとしている人がいたとしたら、その動機が知りたくならなければおかしい。動機こそがエンタメの本質なのだから。

 

彼女は夢中になって自死を決意した男の退屈な日常を読んでいたわけだけど、男が動機についてまったく触れていなかったとは考えにくい。もし仮にそうだったとして、そのことを疑問に思わなかったのはおかしいし、そのことに想像が及んでいないことも理解しがたい。もしその理由を読み取ったのならば、今回の記事においてそのことに一切触れなかったのはなぜだろう。

 

彼女は読み取れなかったのではないだろうか。

 

自死を決意した男がわざわざブログを書いているのだ。まったくどうでもいい無意味でおちゃらけたことを書いているわけはないだろう。彼女は男のブログを退屈な日常と評しているが、それは本当にそれだけでしかないのだろうか。彼自身が意図していなくとも、彼の文章からなにかしら読み取れる心情があるはずだ。もしそんなものが無いのなら、文章を綴ることになんの意味があるのか。

 

もう1つ。彼女は男の自死の決意を徹頭徹尾否定している。

 

上のブログを読めば、彼女は男の意思をまったく慮ろうとしていないことがわかる。それは自死が良いか悪いかなどということではない。そんなことは誰に言われるまでもないことだ。男だってそれを重々承知した上での決断であろうことは容易に想像できる。彼女には自死を決断した男への敬意が無いのだ。それは理解を諦めたからではないか。先ほども書いた自死の動機に想像を巡らせていないことからもうかがえる。

 

つまり、彼女は男が自殺を決意した理由を知ることなく、知りたいと思うこともなかったにも関わらず、夢中になってブログを読んでいたことになる。彼女は何に夢中になっていたのだろうか。

 

彼女は前を向いて希望に向かって生きていこうとしている。それはとても良いことだと思う。しかし、そうであるがゆえに彼女は男を理解できなかったのではないか。男は彼女の背中から伸びる深く暗い影に絶望を見たのではないか。

 

ここまで書いておいてなんだが、あくまでもこれは何も知らない私の想像で、彼女を悪く言うつもりはありません。知ることがあまねく良いことだとは限らないし、上手く消化できるとも限らない。むしろこんな書き方をしたら炎上することくらい想像できたはずだ。共感を呼ぶ書き方だって知っているだろうし、そう書くこともできたはずだ。その上で正直な気持ちを書いたことには好感が持てる。

 

男は彼女のような人に読んでもらうためにブログを書いていたのかもしれない。