うるさい人たち

以前も書いたが  毎日通る道沿いにある美容院の電光掲示版。 一度に表示されるのはたったの8文字程度なのに インプットされた文字列はとどまるところを知らないかのように増え続けている。私がその店に注目してしまうは その店の敷地内に散りばめられた主張たちがどうも目に余るからだ。

敷地内の道路沿いには自動販売機が2つ並んでいるのだが ひとつはお手製だろう木枠で覆われており 木枠側面には軽めに蔦が這わせてある。もうひとつは焦げ茶色に 樹木を思わせるように塗られている。建物を囲むように植えられた または鉢に入れられた植物たちは すべて違う種類のものだ。

うるさいのである。ほんらい物言わぬものたちは口をつけられて 無理やり店の宣伝をさせられているように感じるのだ。電光掲示板にインプットされたただならぬ文字量を 樹木や自販機にも喋らせているよう思えてならないのだ。物言わぬものたちに口をつけること自体が悪いわけではない。それは素晴らしい自己表現のひとつであるはずなのだが そこで無理やり喋らす内容がすべて店主の俺が俺がという自己主張以外何もないのである。その野暮ったさがうるさいのだ。

そんな店に 今日は車が4、5台泊まっていた。繁盛しているのだろうかと思うと少し悔しかった。私は知っている。このようなうるささが気にならない いや気がつかない人たちが少なからずいることを。それはさしづめモスキート音のようなもので 聞こえる人にとっては不快でたまらないのだが 聞こえない人にはどうということもないのだ。それは言葉そのものからも滲みくる場合があって 改まって書くとなんだか病気なんじゃないかと思ってしまうが 例えばどんな話題でも自分語りに終着させようとする人なんかがそれにあたる と言うと理解してもらえるだろうか。私は私が特別ではないことを知っているので 私が感じないうるささに日々辟易している人がいるということも知っている。それがどういったうるささなのかには興味がある。