道路の真ん中で踏みつぶされてしまった亀らしき亀を避ける。ああもう夏なんだなあと思う。

でもその亀は一体どこからどうやって現場にたどり着いたのかってのがいつもわからない。まあ近くに池があるんだけど、その池から来たのだとすると直角の壁を数メートル登ったことになるし、池すら見当たらないところでひとりポックリ逝ってるやつもいる。それよりなによりその場所にいる動機がわからない。甲羅を乾かすとかなら水面に浮かぶだけで事足りるし、わざわざクライミングする意味がわからない。まあ亀の気持ちなんてわかりっこないんだけど、しっくりくる説明が思いつかない以上、あれも一つの超常現象なのだと思わざるをえない。

田舎道は亀だけではなく、いろんな小動物が轢死っているのだが、もっかいその道を通る時には何事もなかったかのように綺麗さっぱりしている。長年あれがどうしてかわからなかった。というか気にもならなかった。あれは保健所かどこかに電話を入れて死体を処理しに来てもらうのだと教わったのは数年前の話だ。大型犬の礫死体を発見した先輩が車を停め、血だらけの死体を抱きかかえ道の端に運び、電話をして処理に来てもらったという話を聞いたのだ。思えばそういったことをしたことがない。ただ障害物を避けるだけ、というふうにしか考えたことがなかった。しかし、どんな死体も、誰かが死体を端に避け、電話をしているのだ。そして電話を受けた先では、準備をして死体を回収しにやってくる人がいる。それが誰なのかはわからないし、死体を回収している場面に遭遇したこともないのだが、それは確実に誰かがやっていることなのだ。それにしても、その情報はいつどこでどうやって知ったのだろうか。街や地区や自治会の人が教えてくれるにだろうか。会報に書かれているのだろうか。そして私はその情報を知ってしまったわけだが、正直に申し上げて初動を起こせる自信がない。この間も交差点の真ん中で立ち往生している亀をわざわざ車を降りて助けに行った女性を見かけたが、自分だったらなんの感情がわくこともなく通り過ぎていただろう。などと予期せぬタイミングで自己嫌悪の穴にハマってしまうのだが、残念ながらそれが私の行動を変えることはないのだ。こういう行動ができる人のことを、心に余裕がある、というのだろうなあ。