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ラッキーアイテムを考える人工知能

朝のテレビやラジオには必ず占いコーナーがある。女性向けの雑誌にも必ずある。
これらは私が物心ついたころにはすでに当たり前のコンテンツであったが、この内容を覚えていた試しがない。家を出るときにはすっかり忘れてしまっている。

しかし需要があるから供給されているわけで、これを一日のささやかな潤いとしている人は少なからずいるのだろう。そして供給されているということは、あの根拠レスな順位やラッキーアイテムやそこに添えられる一言を365日分考えている人がいる、ということになる。それでお金をもらっている人が確実に存在しているのだ。

こんな楽な仕事にありつきやがって羨ましい、と思う人もいるかもしれないが、これは決して楽な仕事ではない。毎日数百から数千文字を綴らなければならないのだ。その一行の文章にはあたりさわりがあってはならない。すぐにクレームがくるだろう。毎朝それを楽しみにしている人がいるのだから、手帳に記録をつけている人もいるだろう。アイテムを使い回すとすぐにバレてしまう。その一言は誰にも不快を与えず、日常の風景を切り取り、かつ印象的でなくてはいけない。そんな言葉を365日分紡ぎ続けなければならないのだ。これは好きとか嫌いでできる仕事ではない。ある意味拷問に近い。確固たる目的がなければ続けることはできない。

このようなちょっとしたどうでもいい文章こそ、人工知能が担うべき仕事なのかもしれない。しかし占いは人がやってこそであり「人工知能による占い」は存在意義として矛盾している。一般的に認識されている占いとは、魔女のようないでたちのハーフみたいな名前のおばさんの顔のことであって、合理性や蓋然性とは対極のオカルティックな世界だからこそエンターテイメントとして成立する。マジシャンが種明かしをしないように、アイドルがうんこをしないように、たとえそれが学術的根拠によるものだとしても、それを言ってしまうと占いではなくなってしまうのだ。しかしこの世知辛いご時世、そういう嘘がつける人か逆手に取れるくらいしたたかでなければ生きてはいかれないのかもしれない。

外国の大学では学生の成績や特性を分析して進むべき道や取るべきカリキュラムについてのアドバイスを行う人工知能を導入しているところがあるらしく大変好評のようだ。要するにコンサルタントなのだが、近い将来そのようなハイブリッドな占い師が必ず出現するだろう。日本でウケないはずがない。