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死にたくなるほどの

腹痛には周期がある。

ボクサーに思いっきり腹を殴られたかのような腹痛は半年に一回くる。

いっそ死んでしまいたいと思うほどの腹痛は五年に一回くる。それが今日きた。

便座で30分ほど悶絶する。脂汗をだらだら流しながら激烈な腹痛が過ぎ去るのをただ待つ。一応持ってきた横歩取りの定跡本は床に放り出されたままで、表紙の羽生善治は苦痛に歪む私の顔をずっと見ている。やがて腹痛が少し治り、ベッドに横になるとまた痛みだす。ゾンビのようによろめきながらトイレになだれ込む。これを数セット繰り返す。この時の便座の座り心地の悪さといったらない。ランドルト環みたいなプラッチックの便座は長い間楽に腰掛けていられる作りをしていない。なんなら横になりたい。便座の形状にはまだまだ改善の余地がある。

ところで、元来人間は排便後にケツを拭かなかったそうである。尻を拭くようになったから、排便後に尻が汚れるようになったのだ。猫や犬のケツが排便後に汚れないのと同じように、人間の肛門の作りも排便後に拭かなくてもいいようになっているのだ。思えば小学生の時は吹いていなかったがまったく汚れていないかった。そのため大便は数秒で済ませていたのだが、母に何度も注意され拭くようになった。そして拭かなくてはいけなくなった。もちろん加齢による肛門の経年劣化も考慮しなくてはならないが、尻を拭くという行為が肛門機能の劣化を早めたことは疑うべくもない。また、ランドルト環状の便座に腰掛けることによる尻肉の圧迫も一因となっているだろう。つまり、人間による排便施設の機能向上は、身体そのものの機能劣化と引き換えに得たものなのだ。人間は手を巧みに使いモノを加工して生活環境を向上させてきた。それは「進化」と言われているが、本当にそうなのだろうか。

そんなどうでもいいことを考えながら便座で呻っていた。それにしても、この死を切望するほどの激烈なる腹痛が出先で起こったことは一度もない。家にいる時にしかこの腹痛はやってこない。これは僥倖か、それとも人間本来の能力によるものなのか。

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