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しあわせ

友達の会社の同僚が自殺をしたそうだ。
会社まで借金取りが居所を聞きに来たようで、もちろん金貸しとは名乗らないんだけど、そういうのは乗っている車と着ている服で分かる。この辺は都会も田舎も変わらない。そしてそれとほぼ時を同じくして家族からも会社に「そちらに息子は居りますか?」という電話がかかってきたようだ。彼は会社に来ていなかった。翌日、実家の納屋で首を吊っているのが発見された。借金が数百万あったらしい。

そんな借金で死ぬもんかね。いや、死ぬもんかな。

お互いへの字口で自問自答し余韻に浸っていた。ふいに友人が口を開いた。
彼の死について会社は何も言わず、同僚たちも何も言わず、彼のことが話題になることもなく日々が過ぎて行った。そのことに言いようのない気味の悪さを感じたのだと言う。

それは会社も同僚も気を遣ったんだろうよ。私は言った。身近な人間の不幸な死は誰だって早く忘れたいだろう。無かったことにしたいだろう。それが無理だとわかっていても。

三十余年も生きていれば、少なからずそのような死に接する。というよりも、世の中はこのような不幸な死や不幸な環境で溢れているのだと痛感させられる。テレビや新聞で報じられるのはそのほんの一部に過ぎない。


そのようなことを、共有している不幸話を例に挙げて喋っていたら「そういえば」と友人が話を受け継ぐ。

以前友人が他県に出張した際、高校の同窓生二人との酒を飲みにいったのだそうだ。その時も偶然そのような話になったらしいのだが、同窓生二人はそのような死に接したことがないの言ってのけたのだと言う。身近にも友人にも同僚にも不幸な死どころか死んですらいないのだと言う。

私にはそれが信じられなかったが、そういう人も意外に多いのかもしれない。それが幸せなことなのかどうか私にはわからなかった。幸せかどうかで測ることではないのかもしれない。とにかく私はつまらないやつらだと思った。身近に不幸な死がないからつまらない奴だと言うのはあまりにも語弊を招く言い方だが、そのことに鈍感さや無関心さを感じずにはいられなかった。

二人には共通点があった。高校大学と人並みに進学卒業し、新卒で入った会社にずっと勤めていることだ。それ自体は悪いことではなくむしろ好ましいし、私は羨ましい。その内一人にも百万単位の借金があった。借金はパチンコでこしらえたようで、それを彼女に言えなくて結婚に踏み切れないのが悩みだそうだ。

次に死ぬのはそいつなんじゃねーの、なんて軽口叩いて笑ったが、言葉とは裏腹にそのツラの皮を厚さが羨ましく思えた。

今日、愛媛県で起こった連続殺人事件で任意聴取を求めていた女性が自殺をした。事件は迷宮入りかと目されている。彼女は遺書を残したようだが、どのニュースも内容には触れていない。仮に遺書で犯行を認めていたとしたら、その裏付けを取ってからの発表となるだろう。真相は別にして、事件について触れていない若しくは否認している可能性もあるだろう。その場合もやはり捜査が必要だ。どちらにしても現時点では発表はできない。

最近見た「凶悪」という映画も実際に起こった事件を基にしたフィクションだ。そして今から読もうとしているのは「津山30人殺し」だ。頭に懐中電灯を2つ括り付けた例にアレだ。この事件はずっと昔にどこかの日本の猟奇殺人を網羅したサイトで詳しく書かれていて、とても読み応えがあった。この犯人も自殺を果たしている。

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