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ぼくなりのレクイエム

このブログには現在29人の読者がいるわけですが、その人たちがこのブログになにを見出したのかがまったくわかりません。

 

しかしそれ以上にわからないのは、読者が数百人や千人以上いるブログが一体どうやってそんなにもたくさんの読者を獲得できたのか、です。いや方法は分かっているんですよ。返報性の原理を用いた営業活動やら共犯者の購入やら。マッチポンプで炎上させたりね。だからその数百人、数千人の読者の数割は非実在的な存在であるわけですよ。

 

別にそれはいいんです。人気を水増ししてそれを評価やお金に替えようとする行為は業種を問わず人間の基本的な生存戦略として古来より受け継がれてきたわけですから。昆虫や植物が生き残るために進化の過程で手に入れた特質と同じようなものだと解釈しています。

 

一方で、そうした欲望や野心を剥き出しにしながらも仲間やPVを得るスキルと継続力が決定的に欠けているために生き絶えてしまったブログは数多くあるわけです。やはりしたたかなもの、ズル賢いもの、あるいは鈍感なものたちだけが生き残っていくわけです。

 

この点から、ブログにおける読者数に類するものは、人気や質のバロメーターではなく当人の執着や営業努力、技術を表す指標と考えることができます。一般的に多いとされる読者を抱える人が読者が少ない人を下に見たり唐突に自慢混じりの謙遜をするのは、読者を得るための努力をし、相当の犠牲を払ったからなのです。それにより得られる何かに対して激烈な執心があるからなのです。もちろん純粋なる高みに達しているブログについては例外なのですが、そのような真なる天才はほんの一握りであり、該当するブログは全体のコンマ1パーセント未満であること、即ちあなたではないことだけは言うまでもありません。

 

いや何が言いたいかって、私がウォッチングしてきたブログの大半が淘汰されてしまったいうことなんです。その亡骸が醸し出す寂寞の世界も悪くはないのですが、亡骸さえも消滅してしまいログを確認することが不可能になっているものがありまして、それが私のイチオシであったことがあまりにも口惜しく、その猛りを鎮めるためこのように管を巻いている次第です。

 

彼は最初の記事で人間を辞めるぞージョジョーと言い放ち、唐突に瞑想のスピリチュアルな効能について説きだし、ノニ食品のマルチビジネスに手を出し、youtuberを目指してほっとけ様なる新興宗教の教祖のような真似をしだし、そして生き絶えた。この間わずかに2ヶ月。早すぎる最期であった。

 

youtubeの動画閲覧数は1動画あたり平均で10をやや上回るくらいで、チャンネル登録者は3人であった。流石にモチベーション云々以前の話なのだが、それでは彼はチャンネル登録者数やブログのPVを増やすために一体何をやったのだろうか。何かをやったのだとしたらなぜ彼は受け入れられなかったのか。何もやらなかったのだとしたらそれはなぜか。ちなみにチャンネル登録者3人の内1人は私なのだが、あとの2人とは仲良くなれそうな気がする。

 

それにしても、この手の人たちの顔に共通して現れる死相はなんだろう。なぜだか笑っているその顔の目はやや瞳孔が開き気味で死んだように澱んでいる、あの顔を見ていると21世紀の新しいゾンビ像を見ているような気分になる。あと99%ブサイクだ。残り1%は情けである。空港で外タレの出待ちをするためにどこからともなく湧いて出た素性の知れぬ人々のごとく、見事に全員が脱法ドラッグに酩酊しているような狂った顔をしている。

 

どこかの誰かが言うように、もしもネットが顔出し義務化をしたら、そこにはやはりしたたかな顔、ズル賢い顔、鈍感な顔が並ぶのだろう。

  

だから安心して成仏なさい。

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