趣味がない

友人がいつになくセンチメンタルになっている。

少し前には「もし宝くじが当たったらどうする?」なんて質問をしてきて顔面神経痛になりかけたが、最近は電話するたびに「なんか趣味がないってヤバいよな」「なんかしたい」なんて弱音を吐く。職場と家庭とパチンコ屋を往復する人生にいい加減飽きてきたようだ。

自分のことを棚に上げて色々と趣味候補を挙げてみるが「えー」「いやー」と友人は言葉を濁す。私も似たようなものだと思っていたが、友人のアンテナの低さに改めて打ちのめされた。

友人は過去、ある競技のプロであった。その頃は毎日寝る間を惜しんでそれだけに人生を費やしていた。しかし結婚して子供が出来て公私ともに色々と悶着するうちにプロとして活動する時間が無くなり廃業してしまった。

「もっぺんプロになれば?」なかば投げやりに言ってみるが、いまさら戻る気にはならないようだ。

そもそも即物的で行動的でバイタリティ溢れる友人が、なぜ今になって夢とか未来とかそんな雲をつかむようなことばかり言いだしたのかが私にはどうしても理解できなかった。

問いただしてみると、職業柄ラジオをよく聴くようになった友人は、いつからか10代向けのラジオ番組をルーティンで聴くようになり、人生相談コーナーで青臭い夢や悩みを投稿する若者が羨ましくなってしまったのだと言う。だから今からでも何かを始めたいと思うようになったのだが、その段になって初めて自分が何にも興味を持てないことに気がついたというわけだ。若さへの未練、おそるべし。

だから、だったら将棋でも盆栽でも何でもいいからやろうぜよって言ってんのにごにょごにょ言うわけである。その消極的な姿勢から、趣味を通して何者かになりたいと思っている節を感じた。「今から始めても仕方がない」という断り文句は、自分がそのクラスタにおいて何者にもなれないのならやっても仕方がない、と言っているようなものだ。他に打ち込んだものも趣味と呼べるものも無い彼が唯一何者かになった業界に戻ろうとしない理由もここにあるのだろう。これもプライドなのか。世間体なのか。あるいは鬱の前触れか。もう5月だしなあ。

私は小学生の頃、祖母が営む書道教室に通っていた。教室を畳んだ後に聞いた話だが、祖母が書道を始めたのは50に近い年齢だった。昇段するための作品を夜な夜な仕上げては年の近い師範に突っ返される、そんな日々はとても辛かったと言っていた。祖母は一体どうしてその年で書道を始めたか。どうして頑張れたのか。その時はそんなこと思いもしなかったが、まさかこうも切実な事態になるとは。

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