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写真

聞かなくなったCDファイルをめくっていたら真っ白なCDを見つけた。ディスクと一緒に挟まっていた四つ折りのA4紙を拡げると、航路が記されていた。

 

テレビモニタに映したフォトアルバムをしばらく眺める。ここに写っている人たちに会うことはもうないだろう。強烈なノスタルジーに肩まで浸かりながらふと思う。私はこの先、この写真群を他の誰かに見せることがあるのだろうか。無い。強いて言うなら、数十年が経ち私が死んだ後、遺品整理に来た業者だか役所だかの人間が気まぐれに持ち帰り時代遅れの機械に挿入したその時にようやくこの写真たちは第三者の目に触れることになるのだ。

 

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これは、いつだったか「噴火中の三宅島を見に行く」と言うアウトローのA氏に連れていったもらった航海の記録だった。2005年の5月の話だ。当時の三宅島の状況はwikipediaによるとこうだ。

 

2000年の噴火によって、2000年9月2日から全島民が島外へ避難した。2005年2月1日15:00に避難指示が解除された。しかし、雄山中腹にあった公共牧野は数mの火山灰が積もったままで、2011年に山頂周辺を除いて立ち入りと居住の制限は解除された。4年5ヶ月におよぶ避難生活によって、本州島内の東京都や伊豆諸島の他の島に生活基盤を移した人々も多かったが、2010年現在、約3,000名が帰島している。住民基本台帳によると、2007年1月時点での人口は約3,800人。

 

A氏とは仲が良いとか悪いとかそういう関係ではなく、上京した私が住み着いた街で出来た知人友人の親分として面識があっただけで、地元の方面からはかなり怖がられていたのだが、行き帰りの車代はもちろん、食費から何から全て持ってくれて船旅まで出来るのだから、当時暇を持て余していた私にとっては願ってもない話だと思い誘いに乗ることにした。私の知っている人は全てその誘いを丁寧に断っていた。

 

私と唯一の年下である地元の不良B君には小さな漁船の船底にこびりついた無数のフジツボをヘラでこそげ取る役割が与えられた。タダより高いものはないと言うが、照りつける太陽の下で行うこの作業はかなりの重労働だった。フジツボを削り取った船底にフジツボ除けの毒を混ぜたペンキを塗った。ペンキが付いてしまった私の左中指と薬指はそれから一年、二本丸々爛れてしまうことになる。ペンキが乾くまで1日2日待ってから出発だ。

 

海に近いボロボロの民家がA氏の別荘だった。家は足の踏み場もなく、襖が破れた押入れからは大量の漫画本が溢れ出していた。その頃の私は完全夜型の生活をしており不眠症気味だったのだが、寝ぐらに戻る頃は常にそんなことなど気にならないくらいぐったり疲れていたのでぐっすり眠れた。

 

A氏は地元の漁師友達と倉庫に篭って木を削りトローリング用の疑似餌を作ったり、ホームセンターに買い出しに行ったりしていた。全く素性の知れないコテコテの関西人C氏は唯一の40代で、私のような雑用はそこそこに、酒を飲んでは海を眺めていた。株式情報を見る時の目が一際鋭かったのを覚えている。

 

船旅の予定は、夜に出発し、朝方あたりに到着するスポットでカツオやマグロのトローリングをして、三宅島まで可能な限り接近し、神津島で燃料補給と休憩を取るというものだった。おおよその航海時間は片道11時間とのことだった。飲まないと後悔すると渡された酔い止めを飲む。なくても大丈夫と強弁するB君を誰も無理に説得することはなかった。

 

出発すると、すぐに辺りは一面真っ黒な海になった。灯などはどこにもなく、遠くにうっすらと島の岩壁が見えるくらいだった。360度見渡す限り淡墨を掃いたような景色の中を、液体の入った透明の球体の中にゆらゆら浮かぶコンパスだけを頼りに舵を切る。途中で少しだけ運転をさせてもらった。対面から船が来ると互いに右に舵を切ることや、ランプの色で船がどちらを向いているかが分かることを教わった。

 

トイレなどという気の利いた設備は無い。船の縁から放尿する。大便は後部の甲板の蓋を外して直接海にひり落とす。その際、絶対に海に落ちてはいけないと釘を刺された。夜の海に落ちてしまったら、助けるどころかその姿を見つけることすらほとんど不可能なのだそうだ。探そうと海に飛び込んでも死者が一人増えるだけなので、落ちた時点で諦めるのだそうだ。夜の航海中いつの間にか乗組員の姿が消えていた、そんなこともしばしば起こったらしい。航海中大便をする者はいなかった。運転を教わりながらそんな話をしている時、盛大に船酔いしたB君は海面と向き合っていた。

 

凪の海を裂く漁船のエンジン音だけが闇に轟く。夜は特にすることがない。翌朝のトローリングに備えて一時間交代で仮眠を取る。甲板下部の高さ50センチほどの荷物置き場に毛布を敷いて仮眠所とした。

 

夜が明けるまでまだ時間があったが、とても眠る気にはなれなかった。酔い止めを飲んだとはいえやはり具合は良くない。エンジン音がうるさくて眠ろうにも眠れなかった。夜空を見ながらB君と話をしていた時、A氏が「船の突端に座ってみろ」と言ってきた。凪いでいるとはいえ、船は思った以上に上下している。落ちるに決まってるじゃないかと思った私とB君は哀願するように断りを入れるが、A氏には逆らえるはずはなかった。後ろ手で青い杭を力一杯抱き締め決死の覚悟で突端に足を船外に放り出す形で腰掛ける。船の突端は上下の揺れがどこよりも激しくとても恐ろしかったが不思議な安定感があり心地良かった。

 

気が向いたら書き足していこう。

 

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 蜃気楼

 

 

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 水平線から昇る朝日

 

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たぶんこれが三宅島だろう

 

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煙が立ち昇っている

 

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