桜を見て何を思う

緩い坂道の途中にある我が家のそばには、小学生用のサッカーグラウンドほどの空き地がある。そこは長年放置されていて、子供の丈くらいまで伸びた雑草で覆われている。

 

先日、土地の所有者と思しき老人が空き地を一掃した。現れたのは、チラホラ花をつけ始めた可愛らしい桜の木が一本と、朽ち果てた倒木が一本。この倒木は私が物心ついたころからそこにあった。ぼうぼうに伸びた草に覆われていた空き地だが、この大木の縦横に伸びた太い枝だけはいつもはみ出して見えていた。おそらく桜の木だろう。

 

日本で桜と呼ばれているもののほとんどはソメイヨシノだ。ソメイヨシノには寿命があり、およそ六十年と言われている。私が初めてこのことを知ったのは、十年以上前だった。麻雀中、編集者をやっている友人が絶滅するのではと危惧していたことがずっと頭の隅に残っていた。

 

桜はよく物語に登場する。
「来年の桜のころには」「死ぬまでに、あと何回この桜を見られるだろうか」
登場人物は、眼前に咲き乱れる桜を通して、移ろいゆく時の流れに思いを馳せるのだが、たいていの桜は人間よりも早く死んでしまうのだ。

 

ただ、ソメイヨシノ六十年寿命説は確たる説ではないらしく、wikipediaにも言及があるし、簡単に検索するだけでも考察記事がいくつもヒットする。しかしそれは、どこそこには百年以上生きている桜がある、といった反例を出すだけにとどまり、六十年の寿命そのものを否定するにはいささか説得力に欠ける。まあ、ソメイヨシノの成長速度や環境など考慮すべき要素はたくさんあるのだが、六十年以内に花をつけなくなってしまったソメイヨシノがたくさんあったことだけは疑いようのない事実だ。

 

というわけで、私たちが見る桜はクローンや接木など人工的な細工によるものが年々増えてきているわけだが、ほとんどの人にとってはそんなことはどうでもいいことだろう。目の前にあるものが自然のものか人工的なものか、などといちいち考えていては外を歩けなくなってしまう。これからますますそういう世界になっていくだろう。

 

 つい先日、世界でも有数の豪族ロックフェラー家も第3代当主デイビッドロックフェラーが101歳で亡くなったが、彼は心臓移植を実に7回も行なっていたと言われている。

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