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語りたがる人を信用してはいけない

久しぶりに読み進めるのが心地良いブログを見つけた。

書いてあることはなんてことない日常なのだが、文章がうまい。うまいというのは、ギャグや洒落や伏線やオチのことではなく、読みやすく、わかりやすい、ということだ。

いつも読んでいるブログやはてなブックマークを巡回していると、文章力について書かれた記事を見かけることがある。アフィリンクを貼ってその本のレビューをしていたり、他人の文章を揶揄していたり、自分はこう思う!みたいなことが書かれたりしているのだが、文章がうまいなあ、と思った人は一人もいない。その手の記事の本数が多ければ多いほど、その傾向が強くなる。それは好き嫌いの問題ではなく、助詞の使い方がおかしかったり、やたらと句点を使ったり使わなかったりで単純に読みにくい。あと、ケバい。

助詞の、句点の使い方はこうあるべきだ、と言うつもりはないが、その文章で言わんとする意味がおかしくなってしまうような使い方は、間違っていると言わざるを得ない。

余談だが、ゴルゴ13で、新しい条約だか法令だかが制定される際に、ピリオドの位置を変えるだけでその意味が丸ごとひっくり返ってしまう、という文章のトリックを使って、本意ではない条例に調印をさせて政治混乱を起こそうとした話があった。確かゴルゴはそのピリオドを撃ち抜いたはずだ。

そして、私が文章が上手いと思っている人、基本的な文章術を身につけている人は、文章についての記事を書かない。文章はこう書くべきだとか、私はこういう文章を書きたいとか、文章が上手くなりたいとか、そういうことを※ほとんど書かない。このことは、他のいろいろな場合にも当てはまる。

何かにつけてすぐに語りたがる人は、自分の話をしたいだけで、人の話を聞かない。そのことについて語っているようで、自分のことを語っているのだ。自分語りをする人の何が嫌いかって、どんな話題でも隙あらば自分語りをぶち込もうとしてくるところだ。その渦中にいる人、よく考えている人は、言葉を選ばなければならないことがわかっているから、あまり語りたがらないものだ。

※「ほとんど」というのは、もしかしたら書いているかもしれないが、私は知らないという意味だ。