猫に名前は付けない

我が家に猫が来た。二日目。

ほんと粗相をしない猫、手間いらず。

どういうわけか、私の肩に乗りたがる。猫が肩に座って顔をすりすりしてくるといういまだかつてない体験にはさすがにキュンときた。鷹匠ならぬ猫匠になれそうなくらい、定位置になりつつある。今まで飼ってきた猫とは、ちょっかいを出しても無視されて、たまに構ってくれるけどすぐに飽きられちゃうっていう関係しかなかったので、いつもいつでもイチャイチャしてくるのが嬉しくて仕方なかったんだけど、こうもずーっとイチャついてこられると「お前邪魔。ちょっとどっかいってろよ」ってなる。いつちょっかい出しても、いつまででも相手してくれるもんだから、だったらいつでもいいやってなる。

 

ちょっと!こっちの気持ちも考えてよ!もー大っ嫌い(大好き)!

みたいな焦らされ感が無くて、ちょっと物足りないとか思っちゃってる。

なにこのブルゾンちえみ的恋愛感。なんか恥ずい。

 

ともあれ、猫に名前は付けない。

これまでの飼い猫にも、これといった名前は付けなかった。

どうしてなのか、自問する。とくに理由はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

、、、。

 

例えば、昔、桃太郎っていたじゃないですか。犬と猿と雉を連れて鬼退治に行った人。彼ってさ、犬とか猿とか雉とかのこと、なんて呼んでたのかなって思うわけですよ。

 

「よし、今日からお前はレイチェルだ」

「行くぞ!mc.AT!」

 

とか名前付けたりしてないわけじゃん。

 

んでさ、桃太郎の話って、みんなおおまかな話の流れは知ってるじゃん。桃がドンブラ流れてきてさ、パッカーン割ったらいたわけでしょ?んでいろいろあって鬼退治してめでたしめでたしって話じゃん。

 

でも鬼とどうやって闘ったのかってとこ、すっげー雑じゃない?

 

「お前鬼退治行ったんだろ?どうだったんだよ?」

「ああ、勝ったよ(遠い目)」

「どうやって勝ったんだよ!犬とか鳥とか役に立たんだろ」

「噛んだり目ぇついたりしてた(しれー)」

 

みたいな。

ふかしてんじゃねーのこいつってくらい雑。

やまもといちろうかってくらい曖昧。

 

ていうかじじいが芝刈り行くとかばばあが洗濯行くとかどうでもよくない?

とくにじじいとかいらなくない?

その出会い、都合良すぎじゃない?

ドラマティックすぎない?

桃太郎の事務所から圧力かかってない?

 

そんなことよりさ、鬼とどう闘ってどう勝ったのかってところのほうが、気づきとか学びとかいっぱいありそうじゃん。なんなら一回負けて険しい山のてっぺんにいる仙人訪ねて修行していざリベンジ!とか十分ありえるじゃん。そっちのほうが面白いじゃん。アニメだったらここだけで二期三期ぶっこぬきでいけちゃうわけじゃん。

 

なんてったってあいては鬼ですよ。最終決戦ですよ。

やばくないわけがないんですよ。カタルシスの匂いがプンプンするじゃないですか。

きびだんごとかいうしょっぼい回復薬とかとっくに使い切ってただろうし、

雉とか普通にロストしまくってるはずじゃん。

 

「死ぬな!死ぬんじゃない!レィチェゥ!!!」とか

「お前に決めた!富樫!」

「まだだ、まだ終わらんぞ」

 

とかあったわけじゃん、普通に。

だのに

 体が大きいばかりで、意気地のない鬼たちは・・・

 

なんて言われてもさ、納得できるわけないよね。

 一番いいところをやっつけで書いてるんだもん。

そこは端折るなよっていう。

〆切ブッチしてでもきっちり描ききれよっていう。

 

つまり、桃太郎だって犬猿雉となにかしらコミュニケーションとってたはずなんですよね。となると、そこに名前があったと考えるのが自然なんですけれども。でもそれはあくまでも人間の一方的な考えでしかなくて、異種感のコミュニケーションに名前ってほんとに必要なのかなって思うわけです。向こうがこっちの名前を呼ぶでもなし。もちろん語感の響きに反応するってのはあるとは思うんだけど、それをコミュニケーションと呼ぶのはちょっと独りよがりすぎやしませんかね。向こうは向こうでまったく別の観点からこちらの意思を感じ取っている可能性、否めませんよね。

 

桃太郎に限らず、いにしえより伝わる物語に出てくる動物って、ほとんど名前が付いてないじゃないですか。でも、けっこう熟した関係でないと成し得ない高度な連携とか、普通にやってのけちゃってるわけじゃないですか。助けた亀が恩返しなんつって上に乗って海潜って竜宮城連れてってくれたり、助けた鶴が訪ねてきて機織り使ってダチョウ倶楽部のくだりパロったりさ、昔の動物ですらそこまでやっちゃうわけですよ。お互いに名前も知らないのに。今だと、仲の良さとか絆の深さとか、そういうのを表現する描写として「名前で呼び合う」ってのが普通に出てくるわけですけどね。これって、低年齢層の視聴者に向けたわっかりやす〜い演出なわけですよ。もっと語らずとも通じ合うことの美しさ、見直されてもいいと思うんですよね。最近のはかんでもかんでも名前呼びすぎなんですよ。言葉で伝えすぎ。

閑話休題

異種間のっていうか人間どうしでも意思の疎通に「名前」って重要度そんなに高くないんじゃないかなって思うわけです。名前で呼ばない、名前なんか知らないけどツーカーの仲っていうのもいいなあと思うわけです。

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