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「正しい」かどうかではなく「許せる」かどうかで考えれば

 

はてなブックマークをはじめとしたインターネットでのコメント欄には、なにかにつけて「正しい」「正しくない」と主張する人がたくさんいる。

そういう人は、ほとんどの場合、ある出来事や考え方について「正しい」か「正しくない」かを指摘したがっている。

しかし実際のところ、それが本当に「正しい」のか「正しくない」のかはわからないし、その人が講釈してくれることもない。

 

そういうコメントを見るたびに

「さすが!いつも正しい人はいつも正しいことをおっしゃる」

などと皮肉を言いたくなる。

 

私は「正しい」という言葉が嫌いだ。人を咎めたり、自分を正当化するためにこの言葉が使う人がとても多いからだ。

そしてそれが本当に「正しい」のか「正しくない」のか証明してくれないからだ。

 

まあ、「正しくない」ことについては、簡単に証明できるだろう。

しかし、だからなんだというのか。数式じゃあるまいし。

 

まるで鬼の首を取ったかのように、または、さも全てを知るものであるかのように「正しくない」と指摘できる人が私は恐ろしい。

 

ほとんどの人は「正しくあろう」と生きているだろう。
ましてや自分の子供のことについてなど、考えるまでもない。

 

私は「正しい人」を見たことがない。

そんな人はこの世には一人もいないし、一人もいなかった。

そうなろうとする必要もない。なれないのだから。

 

「正しい」か「正しくない」かで物事を見ると、必ず「正しくない自分」と向き合わなければならない。

その矛盾から逃れた先にあるのが、自己正当化であり、正しさの押し付けだ。

 

そうではなく

「許せるか」「許せないか」で物事を見るようにしたい。

そうすると、許せないことなどほとんどないことがわかる。

心にも余裕が出てくる。どうやって諭すかは、それから考えればいい。

 

もし、許せないことばかりだったなら、あなたはとても疲れている。

ゆっくり休んで、心療内科に行くと良い。