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スポーツからスポーツマンシップが消えた

ちょっと古い話だが、野球の日本シリーズ第2戦目の中盤の勝負所でとても際どいクロスプレーがあった。審判はセーフと判定したのだが物言いがつき、異例のスロービデオ判定となった。スロービデオ判定の結果、キャッチャーはランナーに触れていないことがしっかりと写っていて、判定は覆った。この判定中、解説の江本孟紀は、これじゃ審判が必要なくなるとか、勝負の味わいが薄まるとか、しきりにこのスロー判定について批判的な見解をしゃべっていた。わからないではないし、言い方の問題もあるのだろうが、俺はこの見解が心底気に入らなかった。ていうか、あのキャッチャーの俺タッチしてるよアピールは一体なんなのかと。上半身が麻痺していない限り、タッチしてるかどうかくらい1億%自分でわかっているわけで、要するにキャッチャーは嘘をついていたことになる。タッチしていないにも関わらず、猛烈にタッチをアピールしていたのだ。この時のキャッチャーの心境を考えると、心から胸糞が悪くなる。スポーツマンシップってなんや?と思う。江本孟紀がフォローしていたように、こんなセコイ真似は昔からよくあったことだし、皮肉をいえばある意味それはとても人間らしい、いや生き物らしい行為なわけだけど、技術の発達でそういったセコイ嘘をしっかりと見抜けるのであれば絶対に導入すべきだし、むしろ積極的に導入していかなくてはならないと俺は思う。運用していく中で時間のロスなんてすぐに解決するし、いわゆる不正も少なくなる。そういった技術を取り入れることで審判の必要性がうんぬんというのは論点のすり替えに過ぎない。スポーツとはそういうものでなければならないし、そうあろうとする気概こそがスポーツマンシップだし、勝負における誠実さこそが真に尊敬に値する。だから勝利のために平気で嘘をつくあのキャッチャーはクソダサいくて超カッコ悪いイカサマ野郎として罵られなければならないし、旧時代的なイカサマ談合当たり前の野球生活を送ってきただろう江本孟紀の批判は老害のたわごととして嘲笑されなければならないと強く思う。

サッカーを見ていても、よく同じようなことを思う。銀河系軍団(死語)のイケメンストライカーを筆頭に、当たってもいないタックルにもんどり打って倒れて、まるで足が折れたかのように痛がってファウルを取ってもらおうとしたり、ちょっと体が触れただけでビターンと倒れて悶えだしたりするやつは、てそういうプレイでファウルをもらう行為を「泥臭い」なんて褒めるような解説者ともども宇宙のチリになってほしい。ああいうクソダサいプレイを見るたびに、中田英寿日向小次郎のごとき、むしろタックルに行ったほうが吹っ飛ばされるあのドリブルを思い出す。中田英寿はほんとにかっこよかった。それは上手いからとかじゃなくて、嘘ついたりセコイ真似したりして有利を騙し取ろうとしなかったからだ。

野球詐欺師と一緒で、昔も今も、この手の勝てば何やってもいいと思っているような人たちが一流の場所で跋扈しているのを見ると、一流に上り詰める過程で清濁合わせ飲まないかん場面がたくさんあったんだろうなと、やっぱり綺麗事だけじゃのし上がっていけんのだなという哀しみと、だからこそスポーツくらいは誠実であってほしいやないかという怒りが混じってモヤモヤする。輪島功一的なアレだったら顔がほころぶんだけど、それとはまるで違って見えてしまうのはなんでだろう。

そこへいくと、将棋はいい。盤上遊戯は一味違う。番外戦術だろうと受け潰しだろうとなんだろうと、そこには対局者同士の駆け引きしかないからだ。純粋に数学的な競技であるからこそ、人間同士の駆け引きが浮き彫りになるのだと思う。といっても、それをわかって見ているとは言えないのだけど、少なくとも、第三者を嘘で騙して有利を掠めとるようなセコイ真似はできないし、指し手の責任はすべて自分に返ってくるから、言い訳すらできない。しかし三浦九段のアレがあって、現行犯だったり誰が見ても明らかな証拠があるわけでもないただの疑惑がトントントーンと一人歩きしてる現状って一体なんなんだろう。駄々こねる竜王とか中学校ノリのクソ寒い棋士が証拠もないのに断定して咎められるとスタッフのせいにして捨て台詞残してトンズラこいたりしてんのを見てると、やっぱり上に書いたクソダサいやつらとなんも変わらないわけで、好きな世界なだけになんだかなーと思いながら、何事もなかったかのように放送しているNHK杯将棋を見ている。大山康晴米長邦雄が会長だったらどんな沙汰が降ったんだろーな。