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違法アップロードは本当に悪なのか

はてなブックマークを使うようになって2年くらいになる。始めて少しした頃、相互ブックマーク連盟による超つまらない人たちの超つまらないブログがやたら目につくようになった。最初はそれが相互ブックマーク連盟によるものだと知らなかったのだが、ブックマークコメントにそのようなコメントが並ぶことでそれを知り、そのからくりやお誘いの暴露記事を読むことでそれについての知識が深まった。わたしはそれが不誠実な行為だと思っていたが、いろいろ考えているうちに、取り締まるべきことなのか、はたして取り締まれるものなのか、よくわからなくなった。悪いことではないのかな、と思うようになった今でも、やはりわたしにはできないし、できなかった。いつの間にか、そういった言説は鳴りを潜めるようになった。わたしと同じ頃にブログを始めた人の読者がいつのまにか数百人になっている、そんなブログが増え、相互ブックマーク連盟により知名度を得た、超つまらない人たちの超つまらない記事は、さも何ごともなかったかのようにホットエントリー入りし、その頃以上にブックマークがつくようになっていた。そしてわたしはその超つまらない記事を当たり前のようにクリックするようになっていた。その理由はただひとつ、ただ単に見知っているアカウントだからだ。どんなにつまらないコンテンツでも、どんなにしょうもない人でも、なんども視界に入ってくるただそれだけで、なんとなく親近感のような気軽さが芽生えてしまっている。他の全く知らない人の超面白いかもしれないブログよりも開いてしまうことが多くなっているのだ。コメントするつもりもなく、記事を読むつもりすらない。それが糞つまらないものであることがはっきりとわかっているにもかかわらず、糞つまらないブログにアクセスしてしまっているじぶんがいたのだ。瞬間的な映像を何度も見せられることでそれが脳裏に刻まれてしまう、サブリミナル効果のようなものなのかもしれない。もう10年以上前になる。winmxというものがあって、そこにはエロ動画やら音楽やら映画やらアニメやらゲームやらがたくさん落ちていた。その頃のわたしのネット環境は、1日かけて20分の動画を落とせるかどうかという速度だったので、年がら年中パソコンはつけっぱなしだった。すぐに業を煮やしたわたしは、マンションの大家に相談し、個人的に光回線を引いて、ダウンロードしまくった。それはもうたくさんのコンテンツをただで楽しんだ。いつしか、あらゆるメディアで違法ダウンロード絶対ダメ的な啓蒙がされるようになり、違法アップロード者は逮捕されるようになった。そして、winmxの開発者は、40代くらいの若さで亡くなった。その訃報はネットの片隅でちょっとした話題になったが、大きく取り上げられることはなかった。そして、winmxに落ちているコンテンツは激減し、わたしがそれを使うことはなくなった。コンテンツを違法ダウンロードしてただで楽しむことは、コンテンツ制作者の権利を侵害している。ひらたく言うと泥棒なわけで、本来制作者に入るべきお金が入らないわけだから、それはもちろん悪だ。きちんと金を払い権利を所得した上でコンテンツにアクセスしなければならない。それは重々承知の上で、わたしはこうも思う。違法ダウンロードをしなければその存在を知ることすらできなかったコンテンツがいかに膨大かと。それらの中にわたしの琴線に触れる素晴らしい作品が星の数ほどあると。世の中にあふれているコンテンツの量に比べて、そのコンテンツに行き着くための情報量はあまりにも少ない。テレビやネットで得られる情報のほとんどは、最近できた今売りたいコンテンツの広告だ。しかしその情報は、必ずしも面白さや素晴らしさを担保するものではない。とくにここ十数年の実感として、羊頭狗肉、看板に偽りあり、そんな広告や煽りを見ることが非常に多くなった。ああ見なければよかったと後悔することが増えた。相互ブックマーク連盟の記事群のように。それでもそのつまらないコンテンツは、何度も何度も目に入ってくることで、脳裏に刻まれてしまう。そして、いつの間にか当たり前のように受け入れてしまっているのだ。winmxを使っていた頃は、キーワードを入力して返ってきたコンテンツをかたっぱしからダウンロードしていた。レコード屋をくまなく物色するように。だから、ものすごい量のじぶんの知らない作品と出会った。後に自分で購入したコンテンツはたくさんあるし、今でも購買リスト入りしているコンテンツは多い。winmxが無ければ知ることができなかったコンテンツがたくさんある。それは確かに購買意欲を刺激している。なんども言うが、もちろんこれはいけないことなのだ。しかし、それはあくまでも社会倫理上の悪であって、個人的な楽しみの追求においてはむしろ善である。それによって知り得た好みのコンテンツには金を払いたくなるものだ。今のネット空間は、目立ちたいがためにあらゆるグレーな手を使うような輩がうじゃうじゃしている。そしてそういった輩は、辛辣な批判を浴びながらも、いつの間にかそこに当たり前のように存在するようになる。つまらなさはそのままに、やがて、自分は真っ当にこの場所を獲得しました的な顔をするようになっている。彼らにとって、グレーな過去はなかったことになるのだ。メディアは、そういう人たちが前面に出てくるような仕組みになっているのだ。そして何度も露出しているうちに、それらは受けれ入れられるようになる。それは審美眼ではなく、体の作り的な問題だ。そんな様相を見るにつけ、違法アップロードが跋扈していた頃が懐かしくなる。

 

 とまあ、そんなことを考えていたら、こんな本が出たようで。わたしがダウンロードしたコンテンツをアップロードしたのは、この本に出てくる人かもしれない。いったいどんな思想だったのか、読んで確かめることにします。もちろん買って。