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句読点の打ち方について

句読点の打ち方に満足できない

 

こうしてブログを書くようになって、句読点の使い方がずっと気になっていた。うまく点を打てていないような気がしている。ブログを書くようになって他人の文章を読む機会が増えたが、そちらのほうでもしっくりこない句読点を見る機会がけっこうある。特に自分よりも若い人のそれにそう思うことが多い。例えば、このような、句読点の、打ち方だ。特に太字にした最後の点は絶対に無い方がいいと思うのだが、こうした点をつけかたをしている人が思いのほか多い。中には句読点を全く、もしくはほとんど用いていない文章を見ることもあるが、あれはどうにも気に入らない。文章から書き手の得意げな顔が透けて見えるような気がするからだ。なによりとても読みにくい。

 

ニュース番組を参考にする

 

最近、ニュースを見る際に、キャスターやアナウンサーの息継ぎに注意して見るようになった。この息継ぎのポイントが句読点の打ちどころだと思ったからだ。ニュースの読み上げで大事なのは、原稿の内容を聞き間違えることが無いようにはっきりと伝えることだから、息継ぎのポイントはちゃんと計算されたものだ。一見するとただ話しているだけのようだが、意識して聞くと、内容を聞き取りやすいように色々な工夫がされていることがわかる。こうした視点で考えてみると、先ほど、例に挙げた、このような、文章は、息継ぎを、しまくって、しゃべっているような、モタついた、印象がある。逆に、句読点をほとんど用いない文章は、夏木ゆたかや古舘伊知郎タミヤRCカーグランプリでの小倉さんのような立て板に水的なまくしたてるような口調を連想してしまうが、よくよく考えてみるとそうではないよなあと思うに至った。プロの喋り屋が息継ぎに気も使っていないわけがなく、リズムの緩急や勢いの強弱をつけるためには細心の注意を払わねばならないポイントなのだから、勢いのある話し方だから、文章に起こした時には句読点がないっぽい感じになるよね、と考えるのは、リズムを甘く見過ぎていることになるわけで。むしろ誰よりも句読点にこだわっているのではないかと思う。

 

話と文章は違う

 

プロの喋り屋といえば落語家もそうなんだけど、前にも書いたけど、落語家の技術のひとつに「語尾を飲む」というものがあって、これもざっくり言えば息継ぎの話で、要するに文章における「。」を意識させない話し方なんだけど、じゃあ「、」も無いのかと言うと全くそんなことはないわけで、それは「間」という技術で表現されている。つまり、喋りにおいての「、」は、文章で使われる「、」よりも幅広い使われ方がされている、ということだ。文章における「、」の受け取り方は、どうしても読み手に委ねられてしまうので、書き手の「間」がそのまま読み手に伝わりづらいし、それを確認することも難しい。喋りにおける「、」や「。」は、話し手の心遣いをそのままの形で聞き手に伝えることができるわけだから、この二つは一緒くたに考えていいものではない。

 

話しかけるような文章を書こうと思ったとき、語尾と間の問題に必ずぶちあたることになるわけだけど、その問題を解決するための工夫を句読点の有る無しに求めるのは得策ではなく、そこはあくまでもベーシックな使い方にとどめておいた方が良い。のではなかろうか。と、思う。

 

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