読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

言葉には罪も徳もない

言葉に罪はない。

だから、ある文脈から発せられた言葉に対して文脈を切り取り、言葉だけを指差して差別だなんだとわめくのはあまりにも拙い。むしろ誰より差別心が強いのだろうと思うほど幼い。子供が駄々をこねるのならまだ可愛げもあろうが、大の大人が目を吊り上げて我龍タイムwのごとくオラついてるのは見ていてほんとに痛々しい。平手打ちして「目を覚ませ」って言いたくなる。北風と太陽の寓話を読み聞かせてやりたくなる。嫌な気がするのなら見なければいい、ということにはならない。もちろん、好き好んで魔境の淵に座り込もうなどとは思わないが。この先、このような狂信者にいつ出会うかわからないし、いつの間にか自分もそうなっているかもしれない。いち早く察して距離を取れるようにするためにも、免疫をつけるためにも、うまく対応をするためにも、自分を省みるためにも、他人の狂的な人間性の発露を観察しないわけにはいかない。自戒せずにはいられない。このような狂的な人は、残念なことにたくさんいるからだ。

 

言葉に徳はない。

大事なのはその言葉の文脈であり、美しいのはその言葉の背景だ。言葉だけなら誰でも言える。だから、自分の行い及びこれから行おうとすることの理由や過去の述懐を綺麗な言葉で飾り立てることほど信用ならないことはない。したり顔で拙い嘘を吐く子供のような幼さだ。これが子供であればまだ可愛げもあろうが、大の大人がどこかの誰かの言葉を盾に自分を正当化したり、汚い心を綺麗な言葉で飾り立てたりしているのを見ると、身ぐるみ剥いでやりたくなる。擬態化して獲物が近寄ってくるのを待っている軟体生物のような気味の悪さがある。嫌な気がするのなら見なければいい、ということにはならない。人を騙して笑顔になれる人間がいるからだ。その醜い人間性をいち早く察知して距離を取るためにも、そそのかされている知人友人を諭すためにも、騙されないためにも、じぶんがそうならないためにも、詐欺師の言葉を観察しないわけにはいかない。自戒せずにはいられない。騙し取られるのが金だけならまだマシなのだろうが、後になって、思わぬものを失ってしまっていることに気づくだろう。社会に出ると、このような三流の詐欺師に出くわすことが思いの外多い。詐欺は立件することが難しい犯罪だからだ。

広告を非表示にする