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勝手に思い込んで知ってるつもりになっていること

テレビ番組 なんともいえない話

こないだ捕まえたこどものヤモリを軽めに監禁している。その手足を観察すると、人間のような五本の指を持っており、指の先端は少しふくらんでいた。わたしは勝手に、ヤモリは指の腹から粘性の強い体液を出して壁に張り付いているのだろうと思っていたが、どうもそうではないらしい。

 

wikiってみると、ヤモリが壁に張り付いていられるのは、手足の指先に生えた数十万本の毛が作用することによっておこる、ファンデルワールス力によるものらしい。なんじゃそら。ファン・デルファールト力とかファンデルサール力だったらわたしも知っているし、なんならファンホーイドンク力も知っているが、もちろんまったく関係はない。ということもなく、みなオランダ人だ。

 

解説を読んでもファンデルワールス力というものがよくわからなかったが、ヤモリが壁を歩けるのは指先がベトベトしているからでも握力が凄まじいからでもなく指先にびっしりと生えた毛のおかげだということはわかった。ただ毛が生えているだけで、生まれつきの能力として天地を無視した壁の移動が可能になるわけだ。改めて考えてみると、壁を自由に這い回れるというのはかなりヤバい能力なんだが、そんな超がつくような能力も蓋を開けてみれば毛が生えているからなどというシンプルな結論になってしまう。実際問題、理論的にはシンプルじゃないのかもしれないしわたしは理解できていないのだけど、たとえば細かい繊維のようなものが風に舞って壁にひっつく、みたいなことを想像すると、意外にすんなり納得できる。

 

壁を這う、といえば他にクモがいるわけだが、こちらもやはり足に先端に毛が生えていることで体を壁にひっつけているようだ。

クモはどうやって天井を歩くのか? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

 体毛がびっしり生えていれば、人間も壁を歩けたりするのかもしれないと思ったが、人間は重すぎて無理のようだ。羽根が生えれば人間も跳べるんじゃね的な妄想も、人体が重すぎるから羽根が生えても跳べないって話だし。人間っていつもそう。

 

クモにしてみても、鉤状になっている手足の先をひっかけて壁に掴まっているのだと思っていた。ヤモリにしてもクモにしてもわたしの勝手な思い込みなんだけど、よくわからないことについてなんの根拠もなく勝手に決めつけて思い込んでいる、ということは往々にしてあるのだと思い知らされた。そして思い知ったところで「知ってるつもり」から「よくわからない力によるもの」という認識に変わっただけで、その仕組みが理解できたわけでもなく、まあ知ったかぶりがなくなったのは良いことなんだけど、疑問は何も解決していないわけで、なんかもういいやって気分になる。

 

で、そこまでを知った上でヤモリにちょっかいを出す。割り箸でつんつんしているとそこに掴まってくるんだけど、手のひらをピタッとくっつけるだけで張り付くわけ。さらにその張り付き力は、ヤモリの方で制御できるらしく、くっつこうとするときとそうでないときの張り付き力は明らかに違う。ずるーなんて滑りおちたりしてバカやろーなんつって。手先が鉤状になっているので、そこを割り箸にひっかけることもあるし、尻尾を巻きつけてぶら下がることもある。尻尾はヤモリの意思で切断できるらしいが、そんな部位まで思うままに動かせるとは。ヤモリすごい。ちなみに尻尾の切り離しはとても体力を消耗するらしく、逃げおおせてもそのせいで死んでしまうことがあるらしい。死にたくないがための奥の手なのに、そのせいで死んでしまうかもしれないなんて切なくてカッコいい。天津飯の勇姿が脳裏をよぎる。

 

それはそれとして「知ってるつもりになっているけど実は何もわかっていなかった」ってことは思いの外たくさんあるわけだけど、テレビ番組の作り方についてもまた然りだったわけで。

 

 https://note.mu/unmeichimai/n/nbb14f5341212
テレビ出演のオファーがきた話(更新中)|とあるアラ子|note

 

これを読んで、おいおいとなってしまったわけで。

ざっくり説明すれば、テレビ出演のオファーが来たんだけど何から何までおもてたんとちがう!って話なんだけど、って全然説明になってない。

いやこのテレビ番組ってのが、上の漫画では特定できないように書いてるからバラすのも無粋なのかもしれないけど、あくまでもわたしの勝手な思い込みから断言すると、これNHKの「ねほりんはほりん」だよね、と。

 ねほりんはほりん - NHK

 この番組は、山里亮太とYOUが、ぬいぐるみに扮したある業界人に裏事情を根掘り葉掘り聞くっていう番組なんだけど、上の漫画のシチュエーションとまったく同じなんだよね。だからわたしの中でそう断定した上で話を進めるけど、そうだとすると、司会の二人とゲストが賑やかに話してるのはまったくの嘘っぱちで、司会とやりとりしているのではなく、あらかじめスタッフとの面談で話した内容に合わせて司会が喋っているわけで、まあ台本があることくらいはわかっているけど、まさかそこにいもしない人と、さも会話をしているようなリアクションをとりながら番組を進めているわけで、エア会話とでもいうのかな、なんかタレントってスゲーっていうか引くわーって感じのよくわからない感覚になった。

あくまでもこれはやらせでも捏造でもなく演出なんだけど、それにしてもこの騙された感っていうか損した感はなんだろう。 司会と喋っているように見せておいて実はそうではないってことは、つまりこの番組はフィクションなわけで、フィクションであるのならドラマのように「この番組はフィクションです」というテロップが入らないといけないんだけど、そんなテロップが入るのはドラマだけで、バラエティやら情報番組やらにそういうテロップ入ってるのは見たことない。もちろんそれが嘘を言っているのでもなく、言ってないことを言っているように見せているのではないのだけど、そんな編集をしている番組は例を挙げるまでもなくたくさん見てきたわけで、しかしそれは本当のことのように扱われているわけ。ドラマにだけ「この番組はフィクションです」というテロップが出てくることで、他の番組はフィクションではない(のかもしれない)と勝手に思い込んでしまっているような、じゃあフィクションってなんなの?みたいな変な感じになった。

もちろん番組である以上、企画や編集や流れのようなものが決まっているから、本来であれば臨場感はないはずなんだけど、技術を駆使して臨場感を感じるように番組が作られているわけで、喧嘩をしているようで実は台本通り、とかハプニングが起こっているようで実は予定調和とか、即興のようで実は猛練習しているとか、一緒にいるように見えて実は別々に撮影したものをつなぎ合わせているとか、ほとんどの番組はそうやって作られているんだろうけど、意識して見ないとそうは見えないように作られているわけで。それはとんでもなく凄いように思うと同時に、とても怖いと思う。

 

例えば、ロンドンハーツのブラックメールから派生した、ロックミュージッシャン気取りの狩野英孝が、その音楽の才能を認められてアルバムを作ることになる、という大掛かりのドッキリがあって、それがとてつもなく面白くて今でもたまに見るんだけど、そのナルシストっぷりや音楽のダサさやら天狗具合がすべて放送作家などが仕上げた台本によって作られたもので、狩野英孝はその虚像を演じていただけだとしたら、などと思うことがあって、もちろんどこからどこまでがガチなのかという線引きの妙もあるのだけど、仮にそうだとしたら、狩野英孝が凄いのはそのキャラを演じきった胆力にあるわけで、それよりもさらに認められるべきは、その台本を書いた人や番組の制作陣であるわけなんだけど、一視聴者がそのへんを知ることはできず、それによって売れた狩野英孝のキャラを楽しむことくらいしかできないわけで。本当の性格は全然違うんですよ、と言われても誰も信用しないだろうし、もしくはあまり気にしないだろう。しかし、あのキャラは作られたもので狩野英孝はそれを演じているだけなんですよ、と言われると見方が変わってくるだろう。

 

で、このキャラ作りと演者の関係は、テレビだけではなくネットの世界でもよく見られるようになってきた。例えば炎上芸の誰それとか、セレブ芸の誰それとか、一見素人に見えるいろんな人たちがネット界隈で話題になったり叩かれたり褒められたりしているが、これもフィクションなのではないかと思ってしまっている自分がいる。嬉々として、あるいは怒りのコメントを書きつける人たちは、ただ踊らされているだけで、それは水面で口をパクパクさせている魚も同然なわけで、まあ餌にはありついているわけで、それは霞なのかもしれないけどなにかしら暇は潰せているわけで。その暇つぶしのための餌の提供を芸としてやっているのなら、それはテレビ番組のような制作物に他ならないわけで、それは丸ごとコンテンツということなんだろう。ここでも、知らないのは視聴者だけなわけで、知らずに罵倒したりマジレスしたりしてるわけで、そういうのって、すっげーマヌケだなあと思うわけで。

 

何書いてんのかよくわからなくなってきたけど、そもそもフィクションの定義というのか、何をどこまでやればフィクションなのか、テロップを入れないといけないのか、というのがなんだかよくわからなくなった。テレビにしてもネットにしても、目に入るものすべてがフィクショナルな仕組みの中で動いているように見えてしまうようになった。そうなるとそちら側に行ったほうがいいに決まっているんだけど、それも勝手な思い込みなのかもしれない。