わたしが出会った陰陽師

きのうのつづき。

昨日は京極夏彦の処女作であり、京極堂シリーズ第1作目を読んだ感想を書いたが、この物語の一番重要な役割を演じている京極堂こと中禅寺秋彦陰陽師だ。

わたしは過去に、ある作家の先生の使い走りのようなことを少しだけやっていたことがある。その丁稚先は、雀荘で知り合った知人の厚意によるもので、文章の書き方を学んだり人脈を広げたり、わたしにとっても彼にとってもなにかと都合がいいだろうということだったのだろう。一番初めに教わったのは、コーヒーの淹れ方だった。コーヒーの粉末をカップできっちり測る。カップから盛り上がったところはそぎ落とす。フィルターに入れた粉末はきれいに平行に均し、真ん中に小指で小さな穴を作る。穴を作るのは、内部の熱を均等に伝えるためだ。そして煮えたぎった湯をゆっくりとそそぐ。まずは真ん中の穴に少し入れ、円を描くように周りに少しづつ湯の糸を垂らしていく。均した粉末の平行を崩れないように保つのがポイントだ。粉末全体がしっとりと湿ったら、1分ほど蒸らす。香ばしいコーヒーの香りがが部屋に広がる。豆全体をしっかりと蒸し終わってから、もう一度沸騰させたお湯を注いでいく。やかんで円を描きながら粉末全体に均等にお湯を浸すように、少しづつお湯を垂らす。この際、フィルターをお湯で濡らしてはいけない。お湯をかけるのは豆の部分だけだ。そうしてポトポト滴り落ちる雫を眺めながら、時間をかけてコーヒを淹れる。何年かして、藤岡弘、のコーヒーへのこだわりが面白おかしく伝えられる時勢があった。もちろんわたしが教わった淹れ方は茶せんも使わないし拝みもしないし呪文も唱えないけど、強いて言うならあんな感じだったし、あそこまでやろうとする気持ちもわからないではない。物理的な面だけでなく、精神的な面にも美味しさは宿るのだ。

そんなことはどうでもよくて、先生は大学からずっと神学を学んできたそうで、中でも陰陽道についてはとくに造詣が深かった。小さな編プロだったことと、わたしが暇人だったこともあって、事務所で先生と二人きりということが何度かあったのだが、そんなとき、一人の女性が訪れた。女子大生だったと思うが、彼女は先生にお祓いだか憑き物落としだかをしてもらいに来たのだった。事前にアポイントがあったらしく、多分わたしも事前に聞いていたのかもしれないがよく覚えていない。先生のほうは準備万端で、散らかった部屋にパイプ椅子を一つ置いて、彼女を座らせる。そして彼女の後ろに立って、稲妻の形に切った紙を先端に付けた木の棒で肩を軽く叩いたり、呪文のような九字のような言葉をブツブツ言いだした。わたしはそれを近くで立って見ていた。わたしはそういったことはすべて嘘っぱちだと思っていた。女性もどうせなんかの悩みがあってきたのだろうが、それにははっきりとしたおそらく自覚しているだろう原因があって、対処方法もはっきりとしたものがあるわけで、こんな前時代的なものに頼っているからダメなんだよという馬鹿にした気持ちと、先生のその真剣で厳かな仕草と言葉が作り出したよくわからない空間に自分がいることの不似合いさに、最初は笑いをこらえるので精一杯だったのだが、いつの間にかわたしはそれに見入ってしまっていた。一歩も動けなかった。動いてしまうとすべてが台無しになってしまうような緊張感にわたしは呑まれてしまっていた。「ペイッ」と発した大きな掛け声で私は我にかえり、式もそれで終わった。女性は楽になりましたと丁寧に頭を下げ、帰っていった。謝礼のようなものなかった。

わたしは狐につままれたような気分になった。先生はアレコレ説明することもなかった、いや説明してくれたのだろうし、わたしも何かを聞いたのかもしれない。しかしわたしは見たこと以外、何も覚えていない。わたしは、わたしの知らない世界の存在を見せつけられ、ただただ圧倒されただけだったのだ。かといって陰陽道やべえ!と傾倒することもなく、笑い話にするにも現実離れしすぎているので人に話せずにいた。そして今になって京極夏彦を読んで、あれはこういうことだったのかもしれないと思い出すのだから、不思議というかなんというか。現実よりも物語の方に説得力を強く感じることは往往にしてあるが、突拍子の無い現実はインパクトが強すぎるから近視眼的になりやすく、あらかじめフィクションのフィルターをかませていたほうが見渡しやすいのかもしれない。わたしは、フィクションはいかに大きく若しくは不思議な形に風呂敷を広げ、それをきれいにたたむことだと思っているしそれを楽しんでいるのだけど、現実は意に関わらず当事者としてその一角を担わされるので、能力や資質やチームワークがなければ風呂敷を広げることすらできない。

そういえばその後で、先生が密かに出版を狙っているという、陰陽師が主人公の小説のゲラを見せてもらった。「面白かったです」と世辞を言った。その本はいまだ出版されていない。

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