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のろい

なんともいえない話 良かった話

京極夏彦姑獲鳥の夏」読了。

寝る間を惜しんで本を読むなんてどれくらいぶりだろう。京極夏彦を読まずに生きてきたことがとても恥ずかしく、もったいないことをしたと思った。もっと多感なころに出会いたかった。

 

この世に起こる悲劇は、すべて呪いで説明できるのではないか。

 

わたしはオカルト的な物事について、まったく信じていない。それは超常現象などが解読不可能なもの、この世の原理原則を超越したものである、ということを信じていないわけで、その不可解な出来事の存在そのものを信じていないわけではない。起こったことについて信じる信じないという言い方は適切ではないがそれはさておき、中禅寺秋彦のセリフを借りると「この世に不思議なことなどはない」のだ。彼は陰陽師で、憑き物落としなる一見してオカルティックな行為を副業としているわけだが、それは一般的にいう超能力や心霊現象のようなものではなく、むしろ科学的であり学問的であるように思えた。

ここ数年の出来事で、わたしがとても恐ろしいと、これこそが呪いなのだと生で感じたことがある。川島なお美のことだ。彼女は死に行く際、夫に「できれば再婚しないでほしい」と的なことをいったらしく、わたしはそれを夫自らが語っている記者会見を見た。妻が他界したばかりで、夫もそりゃあその思いを尊重するだろう。しかし夫の人生はまだまだ先がある。この先の人生で寂しさに暮れるかもしれない。すべてを包み込んでくれる女性に出会うかもしれない。そんなとき、彼は「できれば再婚しないでほしい」という亡き妻の言葉を思い出し苦悩するだろう。亡き妻の意思を尊重するなら、彼は再び結婚することはおろか、恋愛すらもできない。割り切って考えられればまだいいが、人間はそんなに単純じゃない。しかも彼は行きがかり上、彼女の意思を自らの口で公にせねばならず、その場でそれについて否定するわけにもいかなかった。彼はそのどしようもない寂しさを癒してくれる女性に出会ったとき、かつて愛した死者の言葉によってとてつもなく苦しむことになる。自ら愛を断つ人生もあるかもしれない。それもまた苦しいだろう。死してなお人の心に居続けようとする言葉の呪い。その執着の恐ろしさに戦慄した。わたしには、彼ののちの人生を見越した上でこの言葉を残したように思えてならない。書いていて思い出したが、めぞん一刻の響子さんも、亡くなってしまった夫を想い続け、過去にとらわれて新しい一歩を踏み出せないでいた。自縄自縛の呪いだ。自分の過去に呪われていたのだ。めぞん一刻は、この未亡人の呪いを解く物語であり、そのためになんと15巻も費やしている。仮に惣一郎さんが「できれば再婚しないでほしい」とはっきり言っていたら、五代くんと結ばれることもなく、ずっと一人で惣一郎さんのことだけを想いながら死んでいっただろう。

 いつかの誰かの言葉がいつまでも自分を苦しめる。言ってしまったこと、言わなかったこと、言われたこと、言われなかったこと、そういった過去に蝕まれつづけているのはわたしだけではないはずだ。逆に、いつかの誰かの言葉が心の拠り所になることもあるのだろうが、そういった言葉はあまり覚えていない。あったとしてもすぐに忘れてしまう。

 

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

 

 

 

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