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村上春樹「東京奇譚集」感想(一応)

村上春樹の「東京奇譚集」の最初の話を今読み終わったところ。

 

信じてもらえないような不思議な経験というのは誰にでもあるだろう。なぜならわたしがそうだからだ。しかし、わたしが期待しているほどそういう話には出会えていないのが現実だ。それに、じゃあおまえが話してみろと言われると、一応の用意があるとはいえ、たぶん言葉に詰まってしまう。

 

そういう経験は、これまでにもいろんな人に話してきたし、ここに書こうとしたこともある。そういうときに決まって訪れるのは、うまく説明できないもどかしさだ。もっと面白い話し方、この手の話にあるであろう解があるはずだとは思いながら、それを見つけることができないのだ。

 

普段の何気ない談笑には、定跡があり、つまり解がある。どんな内容の会話でも、リアクションや大げさな表現や笑いや会話の技術を駆使すれば、なんとか形になるものだが、その経験自体に価値があり、からくりがあり、そのままを伝えることに目的がある場合、それは思った以上に難しいものになる。

 

例えばテレビ番組の「すべらない話」を想像すればわかりやすいかもしれない。あの番組は、面白い芸人と、笑ってくれる(協力的な)身内と、笑わなければいけない空気があって、つまり番組だからこそやっと成立しているところがある。飲みの席で真似ごとをやって苦い思いをした人はたくさんいるだろう。

 

それでもやっぱり、自分が経験した不思議な話や面白い話は誰かに話したいものだし、話すからにはできる限り最高の形でやりたいと思うだろう。忘れてしまうのはもったいない。俺もこうしてブログをやっているわけだから、そういうことを書きたい気持ちは強くあった。のだが、それが公にしちゃいけないような話だということがあったり、それがうまく書けないということもあり、こうしてダラダラ茶を濁すようなことばかり書いてしまっている。

 

思えば、過去に俺が好きで読んできたブログは、少なからずそういう側面があった。誰かが経験した不思議な話、面白い話。そういうことをありのまま書いている(ように見える)ブログが好きだった。正直それが事実かどうかはどうでもよくて、まあ嘘だろうと思っていたわけだが、それは、盛ることなく、嘘を混ぜることなく、ある話をありのままの状態で面白く話す(書く)ことの難しさをこれまでに痛感していたからだし、いったん文章にすることで生じる語り手とエピソードの「間」が、それを許しはしないだろうと思っていたからだ。だからといって、それが不可能だとは思いたくない。そういう期待と憧れを、匿名のブログに投影して見ていた。

 

これは体感でしかないが、いま、実話をできるだけそのままに近い加工をした活け造りのブログは、かなり数が減ってきている。さらに、俺がそれを面白いと思うことはほとんどない。表に上がってくる「面白いブログ」がちっとも面白くないのは、その技術面はもちろんとして、そもそも面白い経験をしていない、ということなのではないか。または面白さの抽出能力の問題なのかもしれない。面白さは、ポケモンGOのように向こうから現れてはくれない。

 

例えば、2ちゃんねるから面白い話をひっぱってくれば、面白いエピソードは集まるし、その語りの技術もなんとなく身につくかもしれない。経験も、技術も、作品も、ネットを漁れば簡単に手に入れることができる。薄まっているとはいえ、疑似体験できる。最近ではVRな技術の発展を伝えるニュースや人間に近い質感や造形のダッチワイフのニュースなんかも話題になっている。とにかく、実際に見なくとも経験せずともそのつもりになれる技術や作品がこれからどんどん作られていくのだろう。

 

なんだか経験の価値がどんどん目減りしているような気がする。その経験は、自分の経験である必要がないのかもしれないという気になる。無意識下にそういう考えがすりこまれているような気がしてならない。そういう俺とて、ネットにかいてあることを自分のことのように知ったかぶったことはある。そしてネット上では、相当調子に乗っていない限り、その知ったかぶりがばれることはない。リアルだと100パーばれることだけは間違いない。

 

この東京奇譚集は、俺が好きで読んでいたブログや読みたいブログに出会った時のような、自分が書きたかった文章、経験を語る際のひとつの答えを見たような、そんな嬉しさと嫉妬を覚える作品だった。

だった。ってまだ全部読んでいないんだけど、おもむろにハードルが上がっちゃったもんだから、読みたいけど読みたくない。

 

東京奇譚集 (新潮文庫)

東京奇譚集 (新潮文庫)

 

 

どうでもいいが冒頭の、というか村上春樹のジャズのくだりはあまり好きではない。しかし、この部分が村上春樹の文章においてとりわけブログ的である以上、この感情は嫉妬以外のなんでもない。だって俺もRed Hot & BlueとMark Harmanについての奇譚を書きたいんだもん。