「略奪愛 アブない女」七話目感想 ネタバレあり

 

略奪愛アブない女

略奪愛アブない女

 

 

代々続く小さな材木屋には、ピンと張り詰めた空気が絶え間なく降り注いでいた。小林稔侍、鈴木紗理奈稲森いずみ、そして赤井英和。それぞれが複雑な思いを抱き、膝を突き合わせている。バックミュージックは、まったりチューンのHOW EVER。赤井の義妹のすずちゃん(すずき)の懐妊が発覚したからである。誰の子なのか、知っているのは赤井とすずちゃんだけなのだが、二人はそれが言い出せないでいた。怒る稔侍はすずちゃんに強く当たり、もはやかんどー寸前であった。稲森は神妙な面持ちを崩さない。赤井はどもりながらも勇気を振り絞ろうとするが、荒れ狂う稔侍を前にもう一歩が踏み出せない。結局、すずちゃんは猛り狂う稔侍に追い出されてしまう。冒頭はこんな感じなんだけど、ここまでで既に、ああ見てよかった、録画してよかった、たいへん美味しゅうございましたと心から思う。テレビを見て不意に笑うことなんて、なかやまきんに君のデビュー以来かもしれない。真面目な顔で正座する赤井英和。うなだれる赤井英和。どもる赤井英和。制止する赤井英和。目に映る全ての赤井英和赤井英和に見えた。同時に他の全ての役者も赤井英和に見えた。この演出の妙はただごとではない。ていうか演出はおろか、台詞回しからカメラワークからところどころで唐突に流れるGLAYのナンバーから、後付けで入れている仕草の音から、もう何から何までズレてんだよなあ。

 

そもそも、おかしいところなど無いはずなのだ。そこにいる人も、そこにあるものも、そこで起こることも、そこにあってはダメなものなどひとつとして無いはずなのだ。それなのに、その全てが少しづつズレている。歯車がひとつとして噛み合っていない。にもかかわらず、その独立したひとつひとつの不協和音が刻む独特のビートは、ポリリズムとなって波紋のように拡がって、やがてそれぞれがマーブル模様のように融解していって、そして融合し、そこにあるであろう形にまるで擬態のごとく再形成されているような、そんな不可思議な世界がそこにあった。その世界は、再形成の過程で本来そこにあるべきでは無いはずの可笑しみをも獲得していた。これがCHEMISTRYでなくてなんなのか。

 

ふと、確信めいた直感を得た。この感覚は、キャプテンビーフハートを、フランクザッパを聴いたときのそれと非常に近いものだったのだ。わたしは過去に、興味本位からこの二方の音楽に食指を伸ばしたにだが、良さがまったく理解できなかった。そこにある面白さを、可笑しみを、素晴らしさを感じ取ることができなかったのだ。しかしいまなら、いまならわかるかもしれない。聴き直すならいましかない。ちょうど袴田がすずちゃんへの好意を吐露し、五歳以前の記憶を取り戻すために催眠療法を勧めていた場面で、ここから物語は、また別の意味でホラーでミステリーな様相を帯びてくるのだが、わたしはもう、それどころではありませんでした。

 

そしていま、わたしは十年ぶりにキャプテンビーフハートを聴いています。そして確信は涅槃に変わりました。やはり赤井英和はキャプテンビーフハートだったのです。や、演劇に対する知識も技術も持たず、その生き様が纏わせた魂のポリリズムのみで虚構の世界を泳ぎきって見せた赤井英和の傑物ぶりたるや。ああ、赤井の名を永遠と呼ぶことができたなら。

 

 

 

Trout Mask Replica

Trout Mask Replica

 

 

 すずちゃんのパンチラもあるよ!