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なんてキミドリだ、今日

やりきれない話
親族が一同に会することなど、何年ぶりだろうか。

一昨日の午後、母に電話がかかってきた。あわただしく家を出て行った母から電話があり、祖母の死を知った。もう危ないらしい、と聞いてから、すぐのことだった。祖母には三人の娘がおり、末っ子がわたしの母親だ。祖母の晩年、この三姉妹と祖母との間には複雑な溝があった。全てを知っているわけではないし、くわしく書く気にはならないのだが、要するに金の問題だ。ひとつ、エピソードというほどでもないが、施設に入る前、足を悪くし、ほとんど寝たきりの状態になっていた祖母のお見舞いに行くときは、玄関の横の庭を通り、縁側沿いの祖母の部屋を直接訪ねていた。とにかく、祖母だけが思いもよらぬ角度から、理不尽で甚大な被害を被った。

通夜も葬儀も、葬儀屋で働いていた時以来だ。いつぶりかの礼服に袖を通す。スラックスを履いたが、ウエストがきつくなっていた。アジャスター機能は素晴らしい。通夜に赴いたわたしは、小さな式場の親族控え室の扉を開けると、だいたいの親族が揃っていた。奥に祖母がいるとのことで、手を合わせようと部屋に向かう。すると、学生服を着た男子が座っていた。目が合ったので、軽くお辞儀をしたのだが、誰だかわからない。それは、高知に嫁いで、山奥で半自給自足の生活をしている、次女の娘の長男だった。

わたしが最後に祖母に会ったのは、次女の家に母と行った時だ。そこであった時には、まだ無邪気な子供だったのだが、もう中学生になり、背もわたしより少し低いくらいに伸びていた。そんなに前のことではないはずなのだが、それが何年前のことなのか、どうしても思い出せなかった。通夜が終わり、会食の際に尋ねてみると、向こうもわたしのことを覚えていなかった。

わたしは、その時に高知から一緒に連れ帰ってきた猫のことをよく覚えている。その猫は、次女の娘が山で見つけた猫だそうで、かなり苦労して懐かせたらしいが、自分以外には全く懐かないのだと言い、わたしがちょっかいを出そうとすると、本気で諌められた。猫は、山にいたとは思えないほど、真っ白で綺麗な毛並みだったのだが、見たこともないほどゴツゴツした体つきは、明らかに野良猫のそれではなく、山猫であった。

そして今日、親族だけの小さな葬式で、祖母を送った。
導師が来て経を読むのだが、導師の前にはマイクが置いてある。みなに聞こえるようにとの配慮だ。わたしは、知識よりも経験を重んずるタイプなのだが、今日の葬式で、読経の意味するところを確信した。読経、それは未開の地の部族の音楽や、立川談志が言った「落語はイリュージョン」ということとも通ずる。あの絶え間なく続く、小気味良い、なめらかで、抑揚のないリズムは、精神を変容せしめるための仕方なのだ。記憶の底にいる、故人を訪ねるために。経の言葉も内容もわたしは知らないが、あれは記憶の海を潜るための道しるべになるのだろう。読経が始まると、わたしは目を閉じて、絶え間なく続く、小気味の良い、なめらかで、抑揚のないリズムに身を任せて、記憶の海を潜る。読経がほぐしてくれた記憶の凝りを掻き分け、読経が霧散させた記憶の澱を突き進みむ。わたしの中の記憶の果ての忘却の彼方にいるばあちゃんを求めて、深く、深く、潜る。

辿り着いたのは、ばあちゃんの家だった。毎年正月になると、ばあちゃんの家に三人の娘がそれぞれ家族を連れて集まり、宴会が催されていた。昼すぎにばあちゃんの家に到着し、娘たちは台所で近況を報告し合いながら、料理の仕込みをする。従兄弟の中でも一番年下のわたしは、じいちゃんのハゲ頭を触ったり、次々に現れるいとこの姉ちゃんやにいちゃんに挨拶をしたり、こたつに入ってお年玉と焼肉を待ちわびながら、退屈な時間を過ごす。夜になると、外で時間を潰してきた大人たち帰ってくる。とても大きいおじさんにサソリ固めを決められたり、酒好きなおじさんに酒をすすめられたり、いとこたちと応接間でトランプしたり、とても楽しい時間だった。ばあちゃんは、いつも笑っていた。そこにいる親族は、全員笑顔だった。やがていとこが結婚したり、進学したり、就職したり、わたしが高校に入った時くらいには、もうみんなで集まることはなくなっていた。

脇導師が鳴らした「にょうはち」の音が響き渡り、わたしは我に返った。読経はもうすぐ終わるのだろう。頭が不思議な感じに冴えていて、少しの間、眠気のようで眠気とは違う感覚を持て余していた。隣の兄貴に目をやると、頭をカクンカクンさせていた。寝ているのだろう。しかし、それでいいのではないかと思った。夢の中で、ばあちゃんに会っているのかもしれない。

次にこうして親族で会うことがいつになるのかわからない。おそらく誰かの葬儀ということになるのだろう。焼き場からもらってきた焼けた10円玉を、小箱にしまった。




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