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死ぬとか死ねとか

増田さん渾身の「保育園落ちた日本死ね」が日本を震わせた。
日本のマスメディアはこぞって取り上げ、国会議員までもが話題にするようになった。
個人的には、この事実とはてなの上場が同じ時期に起こったことになにか作為的なものを感じる。

それはそれとして、「日本死ね」という言葉が適切だったのか、なんてことも話題になっているようだ。しかし、例えばこれを読んだ北野武がおもむろに銃を弾いて「Fuck'in JAPくれぇわかんだよバカヤロー」なんて吐き捨てるような意味合いを含んでいたようには読めなかった。ダウンタウンの浜ちゃんみたいに、「死ねばいいのに」としておけば、シニカルな冗談という意味合いは強まったのかもしれないが、まあ危惧を抱く人はでてくるんだろう。一つ言えることは、「日本死ね」という言葉がなければ、ここまで話題になることはなかっただろう。これは昨今においてたけなわな炎上商法の文化が持つ功罪がもたらした僥倖とも言えるのではないだろうか。アジリティの高いアジテート、味わいのある文章だと思ったが、だからこそ公の場での発言であるべきではなかったというのも一理あるだろう。しかしそんなことは言うまでもなく、なればこその苦肉の増田なのである。そのあたりを慮ると、匿名に潜って強い言葉を使う選択を選んだ増田の中の人の目論見は達成できたものと考えて良いし、言葉遣いについての批判も想定内のことだったと考えていいだろう。

これまでにも「羊水が腐る」とか「産む機械」とかの放言や暴言なんて呆れるほど話題になってきたわけで、そういう人は社会的な地位の高低関係なくたくさんいた。それらの場合、使う言葉うんぬんはもちろん、その意図するところにも危惧を抱いたわけだけれど、要するに誰だってそんなもんなのである。むしろあえて増田でやった増田の中の人のほうが、よほど言葉遣いに対するデリカシーを持っていたわけだ。

そういえば最近、己の不義理を思いっきり批判された女の人が、お詫びのために死のうと思ったんですが死ねませんでした、みたいに軽〜く「死ぬ」とかつぶやいていたのだけれど、そっちのほうには問答無用で弾丸叩き込まれてましたね。まあ、死ね「なかった」と書いているので自殺未遂はしていたようなのですが、命に別状がなくてなによりですね。


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