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心無き国技

なんか白鵬がセコイ勝ち方をしたようでバッシングされている。
「そんなことして勝ってうれしいか」なんてやじが飛んで、白鵬は泣いた。

横綱の品格についてはたびたび論じられているのだが、わたしもこれは批判されて然るべしと思う。なぜなら、これは巡り巡ってその競技のエンターテイメント的成分に大きく関わる問題だからだ。一番強いやつは、堂々と相手の得意を受けて立たなければならない。そういう姿勢は心を打つし、見ていて心地よい。王道の物語の主人公は、絶対にあんな勝ち方はしない。横綱はあんな勝ち方をしてはいけないのだ。

アントニオ猪木は「いつ何どきだれの挑戦でも受ける!」と高らかに宣言したが、その姿勢がカッコいいのである。そして「相手の力を9引き出して10の力で勝つ」のである。これこそが王者に求められている戦い方なのであり、それがストロングスタイルなのである!エンターテイメントにおいては、「とにかく勝てばいい」ではいけない。勝ち方に美学を持たなければいけないのであり、それでも勝ち続ける強さを観客は求めている。それが横綱の品格なのであり、横綱に求められる強さなのだ。

強いからこうなのか、こうだから強いのかはわからないが、将棋界が実力制になってからの歴代永世名人の特徴は「相手の得意を受けて立つ」その堂々とした棋風にあった。自分が悪くなろうが相手の研究範囲だろうが、堂々と受けて立ち、そして勝つ。それでこそ王者であるにふさわしい。だから見ていても楽しい。どんな困難だろうと真正面からぶつかっていく、その度量の大きさが名人の貫禄なのであり、その勇気がファンの誇りなのだ。

この度の白鵬の勝ち方から、相手の得意に飛び込んで戦うことの険しさが見て取れる。本人も語っていたが、プレッシャーに押しつぶされそうになっていたのだろう。しかし、あそこで泣くことだけはしてほしくなかった。堂々としていればよかったのだ。

つまり白鵬は、心技体でいうところの心が全くなっていなかったというわけだ。セコイ勝ち方をした横綱が土俵で客にヤジられて泣くとか、スポーツとして次元が低すぎる。体が大きくて力が強ければ誰でも横綱になれるわけだ。美学も哲学もエンタメもないスポーツに魅力はない。国技ならなおのこと「心」の部分に重きをおいては然るべきではないか。もう白鵬の問題というより、角界全体の問題ではないか。精進が足りなすぎると思う。白鵬のせいにしているだけでは何も変わらないだろうな。

そんなトンデモ事案が起こるスポーツなんて他に野球くらいしか思い浮かばない。野球も国技と言っていいほどの国民的スポーツなんだなあ。あ、ボクシングにもそういう人いたわ。



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