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待ち時間が長いので

くだらない話
国道沿いの交差点にある四階建て小さなビルの三階にある皮膚科医院に行った。

皮膚科の医院はこの町ではここしかない。このビルも皮膚科医院もわたしが子供のころからあるのだが、このビルのテナントはわたしが子供のころから何も変わっていない。一階にチェーン寿し屋と処方箋薬局、二階に消化器科の医院とピアノ教室。住居はない。

医院は九時からなのだが八時三十分には病院に着いていたかったので、八時二十分に家を出た。ここはいつ行ってもとても混んでいる。ふらっと行くと、確実に一時間以上は待たされる。いや、一時間で済めば良い方だ。最長で二時間待った。

こちらはとしては、特に診てもらうほどの症状もなく、ただ処方箋だけもらってすぐに立ち去りたいのだが、そういうわけにもいかないらしい。五分ほどの問診と一カップの軟膏のために毎回一時間以上待たされるのだ。この待ち時間が分に合わなく思えて仕方がない。前に一番のりで診てもらおうと、九時きっかりに医院に行ったのだが、既に待合席は老人と子連れの主婦で一杯で、診てもらうまでに一時間少々待った。それならば、開院の三十分前から入口で待っていた方が早くすむだろうと考えるに至った。苦渋の決断といえば大げさかもしれないが、先の見えない局面で自分から損をする決断は下し難い。ただの損で終わってしまうのではないか、という逡巡がつきまとう。そうしているうちに時間だけが過ぎて、後ろ髪引かれる思いで少々の妥協案に落ち着く。この医院に限って言えば、このような失敗を何度も重ねてきた上での選択なので、なんら骨折り損の不安はない。

そんなわけでビルに到着した。

健康のために、と思っているわけではないが、わたしは基本的に階段を使う。なぜかと言われると、止まって待つ、ということがあまり好きではないのかもしれない。エレベーターが降りてくるのを止まって待つ、エレベーターに乗って、閉まるのボタンを押してドアが閉まるまで止まって待つ、目的の会に着くまで、エレベーターの中で止まって待つ、この少々の「止まる」行為があまり好きではない。行動の動き出しと止まる行為は、他の行動に比べてエネルギーが必要なので、それに見合った効果が欲しい。いちいち「少し止まる」行為をするくらいなら、動き続けていたい。三階四階くらいなら、階段で上った方が満たされる。何が満たされるのかはわからないが、とにかく満足だ。健康にも良さそうだ。

段数が少ない階段を登る。二階のフロアに広がる光景に目を剥いた。消化器科の医院には、既に開院待ちの老人が六七人いた。消化器科医院の開院も同様に九時なのだが、開院三十分前でこの有様とは。見通しが甘かったのか。階段を登る足が鈍る。しかし三階にはすぐに着いた。

やはり先客がいた。皮膚科医院の入り口前にパイプ椅子はなく、五人の老人が散らばっていた。わたしは壁にもたれかかって、持ってきた文庫を読み出したが、すぐにエレベーターが開き、医療事務の女性が数人降りてきた。まだ開院三十分前で、受付開始は開院十五分前からということだったが、病院は開き、受付が始まった。

まさかこんなにも先客がいるとは思わなかったが、六番目なら上々だ。三十分ほどあれば一通り済ませて帰れそうだ。待合席の奥に腰掛けて文庫を開く。しかし、やはり一時間はかかるのかと思うと、どうしても気が晴れない。知的障害と思しき男性や、中年女性、子連れの主婦が次々と入ってくる。まだ八時四十五分だというのに、待合席はもう満席になりつつあった。わたしは少しの優越感を感じながらも、悶々としていた。ここの病院は儲かっているだろう、しかし、毎日毎日ひっきりなしに押しかけてくる患者を捌くのは、ありがたいこととはいえ、大変だろうと思う。開店前から待ち時間一時間が確定しているなんて、都会のラーメン屋ぐらいなものだろう。ラーメンの場合は、食べたい人が好きで並んでいるわけだからそれでいい。並ばない自由がある。しかし、ここにいる人たちは、誰一人として好きで来ているわけではない。仕方がないから来ているのだ。待っている時間は、苦痛でしかない。この待ち時間をなんとか有意義なものにはできないだろうか。こういう時には読書が一番だと思っているが、今日は落ち着かない。本を開いたまま、24インチ壁掛けテレビが映している「動物の神秘」みたいな録画だかDVDだかの映像を見るが、雑念ばかりが浮かんでは消え、浮かんでは消え。こんなに落ち着かないのも、今日はいつもより早く帰れるはずだという読みが見事に裏切られたからだろう。損して得を取ろうとしたが、結果的にはいつもと同じ一時間待ちだ。なんだかあれこれと思案した時間は全くの無駄だったのではないかという悔しさがあった。あるいは選んだ本が悪かったのかもしれない。

開院から十五分、ようやくわたしの名前が呼ばれた。診療室は三部屋あり、それは一つの大きな部屋をパーテーションで三つに区切ったものだ。医師は一人で、その三部屋を行ったり来たりしている。わたしが通された部屋は、医師のデスクがあるメインの部屋だった。医師はまだ隣の部屋で老婆の相手をしている。医師のデスクの本棚にずらりと並ぶ皮膚についての本は、どれもがかなり使い込まれているとわかるほどくたびれていた。壁際にある大きな棚にも、たくさんの本が並んでいる。そのどれもが、見たことも聞いたこともないような題名の本屋には絶対に置いていない本だった。いくらするんだろう。裏表紙に値段が記載されているのだろうか。本棚から抜き出したい衝動に駆られた。

ま、そんなことが出来るわけもなく、物欲しげな顔で本棚を眺めていたら、ほどなくして医師が現れた。行くといつも「定期的に来てください」と言われる。わたしは、症状が治ると皮膚科には行かない。症状が出ることもしばしばといったところで、二ヶ月か半年の間に一度、行くか行かないか程度だ。そんな程度に重症ではないということも行かない理由の一つだが、やはりこの待ち時間も大きな理由だ。とてもめんどい。そして行くたんびに、医師のいじわるで皮肉めいた説教を受けるのである。もちろんそれはわたしに原因があるので、ただしおらしくするしかないのだが、意思の疎通もおぼつかない老人ばかりを相手にしていては心もカサカサになるのだろう。心にも皮膚にも、潤いが大切なのである。

五分ほど説教を受けて、待合席へのカーテンを開けると、待合患者は十五人くらいに増えていた。まだ開院して三十分も経っていないが、今来たら一時間半は待つだろう。ああ、早く来て良かった。わたしは正しかったのだ。心からそう思った。そしてやはり、定期的に通うのは無理だと思った。この待ち時間はなんとかならないものだろうか。




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