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自殺をした人の話

やりきれない話
友達の高校時代の友人(以下K)は、見た目良く、ユーモアがあり、機知にも富んでいたが、集団行動を好まず、いつも一人でいたそうだ。友達は無垢で無邪気なやつだったので、例外的にKと友達になった。高校を卒業し、友達は上京した。数年が経ったとき、地元のKから電話があった。今、東京にいるのだという。その日の午後、Kは上野の公園で首を吊って死んだ。友達は帰郷し、葬儀に出たが、遺族によると、自殺の兆候もトラブルもなかったようだ。どうして自殺したのか、どうして上京したのか、どうして死ぬ前に友達に電話したのか、とうとうわからずじまいだったと、友達は淡々と語った。仮にKが自殺の理由を誰かに語ったとしても、それは他人には理解できないものだったのかもしれない。

ある人(Aとする)の話。Aは大手企業の中間管理職としてつつがなく出世街道の端っこを歩いていたが、ある日事例が下り、リストラの勧告員をすることになった。リストラ候補者たちと何度も会って説得をする。リストラを受け入れてくれた人には、できる限り再就職の世話をする。そんな中、一人のリストラ候補者が、自宅で自らの胸を何度も包丁で刺して、自殺を図った。Aは、その報せを受けるとすぐに病院へ飛んだ。ベッドにすがりついて号泣する家族に対し、頭を床につけて何度も何度も謝った。家族からは、もういいですから、と言われた。幸い一命を取り留めたが、その後どうなったのかはわからない。一方Aは、その仕事の最中に体を壊し、目を悪くした。自分の意思だったのかどうかはわからないが、整理解雇の計画を一通り終えると、Aは一線から退き、やがて早期退職した。このことが公になることはなかった。

「どうせ言っても先生は聞いてくれない」という言葉を遺して自殺した学生がいたが、この気持ちがよくわかる人は多いのではないだろうか。わたしが教わった教師も「どうせ言っても聞いてくれない人」が多かった。そんな人に人生を邪魔され、弄ばれるのだからたまらない。こういうことは、教師と生徒だけの話ではない。親と子、上司と部下、男と女。世の中に「どうせ言っても聞いてくれない」ことはよくあることで、どうしてあの時聞いてやらなかったのか、という後悔もまた、よくあることだ。

自殺をした人について、馬鹿だとか、愚かだとか、無責任だとか、悲しむ人のことを考えろみたいなことをいう人が言うが、故人を悼む気持ちがあれば、心で思っていても、そんなことは言わないのではないだろうか。自殺者というのは、これまでにそれこそ星の数ほどいたわけだが、例えばhideの自殺は、後追い自殺者まで生み出したほど社会に影響を与えたわけだけど、彼を非難する人は見たことがない。もちろん自殺をしたことと、故人が悲しむべき存在だったのかどうかは別の話だし、自殺をしたことが遺族の心に傷をつけてしまうことは否定できない。のっぴきならない局面を迎えてしまう前に、運が悪かった、と諦めて方向転換することができれば、それだけで僥倖と言えるのかもしれない。心理的、経済的、物理的に縛られて、逃げたくても逃げられないことがあるのだから。自殺した理由が理解できない、ということはあるが、もし、一般的に自殺に値する理由というのがあるのなら、その共通認識こそが人を自殺に追いやるのかもしれない。


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