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題名でオチがついている本が読み進まない

いつかの図書館でもらってきた二冊の本の、ひとつは星新一「これからの出来事」だったのだが、もうひとつは、ミステリー短編集だった。正直、めぼしいものがそれくらいしかなかった。やはり、必要なくなるものというのは、それなりの理由があった。前者は、破損しているということがその理由あって、その破損具合は全くもってそれにふさわしいものだった。

そしてもう一冊のミステリー短編集なのだが、この題名が「二転・三転・大逆転」なのだが、これはどう考えてもおかしいだろうと。こんな題名が付いていては、ああこの展開が逆転するわけね、さらにひっくり返るのね、なんて思いながら最後まで読み進めることになるのは必定で、どんなオチがついていようと、ああやっぱりね、となってしまう。かといってオチが弱いと、どこが二転三転なんだ、となる。つまり、この題名はその作品の面白さを著しく毀損していると言わざるをえない。

ということで、ページを手繰る手がとても鈍い。最初の一行から疑ってかかってしまい、もうその時点で読み進めるのが退屈になる。そしてそっと本を閉じるのである。それではいけないと、最初から読もうとするのだが、結局最初の短編だけを何度も読んでしまうというミステリアスな事態になっている。

で、何度目かもうわからなくなった最初の短編をまた読んだのだが
それを罰するのは、警察の仕事でもないし、ましてや、私立探偵の仕事じゃない。当人のモラルと、法律だよ。
最近、モラルってなんだろう、と考えるとがあったので、この台詞がひっかかった。魚の小骨がのどに刺さったように。金のためなら、自分のためなら、バレなきゃ人のものを盗んでも良い。楽しければ良い。いつからか、そんな意見が幅をきかせるようになった。最近では、パクリツイートで有名になった人が、のこのことメディアに出てきて、したり顔でインタビューに答えて素性がばれて炎上とかいうアホらしいにもほどがある事象があった。その返答もパクリだったというのだから、たまらない。妖怪みたいなやつだ。そういうやつのアイデンティティっていったいどこにあるのだろうな。一転くらいしろ。

ともあれ、わたしは、後悔や反省がモラルを育むのだと信じている。後悔も反省もしない人にモラルがないというのはもちろんだが、じぶんに端を発する出来事をとにかくポジティブに解釈しようとする人も、同様にモラルが欠けていると思われるふしがある。じぶんも他者も謀ろうとしているぶん、むしろ悪質だろう。とはいっても、後悔や反省が多ければいいというものでもない。自縄自縛とはこのことだ。過ぎたるはなお及ばざるが如し。

なんだかんだで読書がはかどらない。
題名でオチがついてるってのも、考えものだ。