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アレの話

やりきれない話
どうしてブログ記事としてあげたのか。
少なくない人に見られることがわかっていながら。
どうして不特定多数の目に触れるような形で拡散されるような方法をとったのか。
それによる当人のダメージに想像が至っていながら。
これによって事態が悪化したとしたら、彼らはどう考えるのだろうか。なにを発信するのだろう。

そっとはてな運営なり児童相談所なりに通報すれば良かったのではないか。
わざわざ言及記事にして、拡散を希望して、多くの非関係者に読まれるようにする必要はあったのか。
この気味の悪さはなんだろう。

干渉したからには、その結果にそれなりの責任があると思う。その覚悟がなければ、干渉してはダメだと思う。慎重に慎重を重ねる必要がある。だからこそ、対応が遅くなるのだ。それこそが、責任感の表れだ。早ければいいというものではない。動けばいいというものでもない。犯罪者を、現行犯を通報するのとはわけが違う。ああやって拡散して、慰めの言葉をかけて、いいことした気分になってそれで終わり、なんてふうにはなってくれるなよ。と思う。

ただ密やかに通報され、細やかに裏が取られ、丁寧に対応されていくべき事案ではなかったのだろうか。そうしなかったのは、なぜなのか。運営の対応が遅いというのがその理由としてあげられていたが、それはどういうことなのか。その場で連絡して確認して欲しかったのだろうか。そこまで事態が切迫していると思ったのなら、なぜ自分で動かなかったのか。なぜ言及し、対応が遅いと思っているはてな運営に行動させようとしたのか。

おれは、この手の正義感が恐ろしい。これに賛同して拡散した人たちの、心配顔の奥の好奇心が怖い。
これがいいことのなのか、わるいことなのか、おれにはわからない。ただ、こわい。

あの記事は、いったい何万人に読まれたのか。いきなり公衆の前に晒されてどう思ったのだろうか。そんなことを考えると、おそろしい。

結果的に、いい方向に転がるのかもしれない。悪化するのかもしれない。
どちらにしても、経過が知らされることはなさそうだ。もちろん知る必要はない。
ただ、なんともいえない霞みがかった胸糞の悪さだけが残る。

完全なる部外者のおれは、明日にも忘れてしまうだろう。
言及した人も、拡散した人も、すぐに忘れるだろう。
しかし当人は、いつまでも忘れることができないだろう。
その傷は、つける必要があったのだろうか。



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