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横領のぬれぎぬ

やりきれない話
「男にとって一番屈辱なのは、横領の濡れ衣を着せられることだ」
あるとき、カウンターバーの隣の人が、大きな声で言った。その顔は、すこし得意げに見えた。その額は、ニュースになってもいいくらいシャレにならないものだった。要するに、同業者が有能な商売敵であり、先輩でもある相手を蹴落とそうとするために仕掛けた嘘だったわけで。その罠は大成功とはいかないまでも、多少の効果をあげたようだ。加えて驚いたのは、その濡れ衣を着せたやつが顔見知りであることだった。そいつは、界隈では有名な「最低なやつ」だった。さもありなん。

わたしは、そのような横領の濡れ衣を着せられたことがない。あってもプリンくらいなものだ。これが良いことなのか悪いことなのか、その人の誇らしげな顔を思うと、わからなくなってくる。

ある組織でそれなりの実績をあげると、やがて人やお金を管理する側になる。横領できる、ということは、それなりの実績と信頼があるということに他ならず、プリンを喰った喰わない程度の濡れ衣しか着たことがないわたしは、その濡れ衣を着てみたいと思った。

想像してほしい。

実家でも友達でも彼女でもいいんだけど、その家に五百円貯金箱があったとする。その貯金箱は底に蓋がある。じぶんも同じものを持っているから知っている。あるとき、その部屋で一人になったとき、ふと貯金箱を手に取ってみる。かなり貯まっているようだ。一枚二枚なら、抜いても絶対にばれない。こんなとき、どうするだろうか。邪な葛藤が頭をよぎるだろうか。そんなことはまったくないと言えるだろうか。

で、横領犯というのは、このときに貯金箱からお金をすこし頂戴した人のことではない。お金を抜き取りすぎて、相手にばれてしまった人のことなのである。業腹な愚か者なのである。上記の例であれば「そんなことをするわけがなかろう」と鼻で笑うこともできるかもしれない。しかし、このような状況はけっこうありふれている。ダイエット中に「これくらいはいいかな」と食べたクッキー1枚が、次の日には2枚になり、いつの間にかダイエットが禁句になっている。習慣をつけようと、1日1時間勉強をしていたが「今日は忙しかったからお休みで」「なんだか調子が悪いから今日はやめとこ」などといって結局ゲームばかりしていた。こんな経験は誰にでもあるわけで。

その延長線上に横領犯というのがあるわけで、つまり誰でもなってしまう可能性があるわけで。しかし横領は、自分の決め事とは違う。他人との決め事である。普通はやらないし、やれないのだが、それは理性によるものではないだろう。目の前にかぞれきれないほどの万札が散らばっていたら、誰だって「1枚ぐらい」と思うのはもう仕方がないことだ。しかし、他人の目があれば、お互いがお互いを牽制しあって、誰も何も取らないだろう。ま、共謀して全部盗むかもしれないが。

振り込め詐欺などの犯罪では、拠点となる部屋に金庫が置いてあるという。なぜなら、四六時中、多数の電話番や出し子が常駐する場所に金庫を置いておけば、こっそりと盗んで逃げることができないからという。大胆である。やはり、人との関係、他人の目こそが犯罪の抑止になるわけで、理性や道徳心、信頼などというものは、てんであてにならないのである。

組織においては、物事をひとつひとつ厳密にチェックしながら、不明なところが一切ないように進めていく、ということは、どこも、誰もやっていない。すこしくらいの悪行や至らぬ行為は、始めから織り込んでおくものだ。わたし自身、そういった予定調和的どんぶり勘定の恩恵にあずかったことは何度もある。それがどうしても納得できなかったこともある。それでもそういった余白部分を塗りつぶすことは、やらないほうがいいんじゃないかと思う。

で、横領犯というのは、その「すこしだけ」「バレない程度に」で満足できなかった人間だ。それは欲が深く、自分さえよければ人や組織を裏切り、後のことが考えられない人間ということになる。そんな濡れ衣着せられたら、そりゃあ屈辱だわ。で、冒頭の話に戻ると、横領の濡れ衣を着せられた人は、残念なことにその疑いを晴らすことができなくて、世話になった人のもとを去ることになったのだという。ま、その後何年かして、疑いも晴れ、和解したようだ。そういう話である。しかし、「最低なやつ」は、その罪が暴かれることもなく、みんなに嫌われようが、陰で散々言われていようが、いっぱしの成功を収めて、のうのうと肩で風を切って歩いているのである。いつか横領されると思う。それにしても、その大金はどこへ消えたというのか。


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