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せいじん

今年の成人式も荒れたらしい。思えば、私が成人したときのころから、成人式での暴動が酷くなり、ニュースで取り上げられるようになった。私のときは、会場前の道路で不良同士の派手な喧嘩があり、一人が一升瓶で頭を割られて救急車が出動する騒ぎとなった。なにやら尾崎豊の「卒業」に通じるものを感じる。その支配から卒業しても、また新たな支配下に置かれる。支配から逃れることはできないとわかっているから、支配から逃れたいと思う。だから窓ガラスを割るんだ。

式典中、私は友達と二人で、会場外の花壇のレンガに腰掛けていた。その町の住民でなかったため、成人式が行われている会館へ入ることができなかったからだ。破れた505にラモーンズのTシャツに革ジャンだった。とても寒かったが、他に着るものがなかった。同様に中に入れないものは多く、その中に騒動を起こした不良たちもいた。やられた不良の集団に知り合いがいたらしく、友達はそちらへ行った。人だかりの隙間から、羽織袴をはいて一升瓶を持ってふらついている男と警官が見えた。

12月の中旬ごろ、私は地元へ戻った。実家には帰らず、そのまま友達の家に行った。そこから成人式の日まで、ずっと友達の家にいた。友達の家ではずっと、パワプロをやっていた。12時間交代でサクセスをした。交代際に何度か対戦して、一方が眠る。対戦はほとんど私が勝った。食事もほとんど摂らなかった。友達は地元の付き合いがあるので、たびたび家を出たが、私は家でサクセスをやっていた。そんな調子で正月も迎え、そして成人式である。さすがに成人式に一人で友達の家でパワプロをやるわけにもいかず、渋々ついていくことにしたわけである。部屋を出て玄関に向かっていると、友達の母が「あんた臭いよ。風呂入ってけ」という。私はずっと風呂に入っていなかった。ただただパワプロをやっていたのである。その間、友達とずっと一緒で、たまに出かけたりもしたが一言も臭いとは言われなかった。体をきれいに洗って、成人式に向かった。風呂場で嗅いだ足の匂いがすごく臭かったのを覚えている。

地元へ帰る途中、気まぐれに大阪へ寄った。ふらりと立ち寄った駅前のパチンコ屋で海物語を打ったら、ノーマルリーチでアザラシが止まり、大連チャンした。巨大な臨時収入を得た私は、音楽学校へ進学した友達をアポなしで訪ねた。友達がとても迷惑しているのがすぐにわかった。友達には彼女ができていた。高校生の時は、あんなに女のことをボロクソに言っていたパンク好き童貞だったくせに、彼女との約束がどうのこうのと抜かしやがる。私は一夜をそこで過ごし、早朝にそっと家を出た。

初めて、出会い系をやった。最初にして、おそらく最後の出会いにこぎつけた。大阪のどこだかの駅で待ち合わせた。絶句した。その女は、見たこともない造形をしていた。女であることすら疑わしいが、一旦会ってしまっては、むげにするわけにもいかず、かといってナニをする気にもならず、ピンクの若いブタを連れて、ただ街を歩いた。女が5歩くらい離れるように、早く歩いた。なんとなく一周したところで、とうとう虚しさに耐えきれなくなった。「……パチンコでも行こっか……」私は、大花火をぎこちなく打つ女の後ろを通ってパチンコ屋を出た。缶コーヒーを買って、ベンチに腰掛ける。浅井健一も、こんな気持ちだったのかな。

本当は、大阪にも友達の家にも寄らず、そのまま実家へ帰るつもりだった。

キリスト教や仏教などの宗教には、言い方はいろいろあるが、いわゆる懺悔がある。誰かに自分の罪を聞いてもらうことは、それだけで救いになるのだろう。それくらい、誰にも言えない秘密を持つことは、辛いことなんだろう。話すことで、いくらか楽になるのだろう。そういう意味では、昔の武勇伝や悪かった自慢なんてものも、懺悔のひとつと言えるのかもしれない。宗教が身近なものではない大衆が、自然に生み出した知恵なのかもしれない。聞かされる側は困惑するだろうが、聖人ではないのだからそれも仕方がないだろう。そう考えると、なんでも罪に思えてくる。そんなもんなのかな。

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