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他人の言葉をパクる人は知性が低いんだって

バカな話
フェイスブックやツイッターで、深いようで実は薄っぺらい引用文を投稿しまくる人は知的レベルが低く陰謀的な理論に引き込まれやすい傾向(カナダ研究) : カラパイア
はてなブックマークの新着エントリーに上がってくるのはこういうの多い。
 フェイスブックツイッターに、一見深みがありそうだが、実はあまり意味のない引用文を投稿し続けている人がいる。こうしたニューエイジ風の流行り言葉にいまいち乗りきれない人間を擁護する動きがついに出てきた。
 いわゆる”インスピレーション”を与えると言われるこうした言葉を信じやすい人たちは、知性が低い傾向にあるということがオンタリオ州にあるウォータールー大学の研究によってわかったというのだ。
ほんと、こういうのの多いこと多いこと。全く興味がなく求めてもいないのに、こういう輩が夏の夜の羽虫のごとく不規則に俺の視界に飛び込んでくるんだから、無慈悲に叩き潰したくもなるよね。こういうのはバカって言葉で表しちゃいけないと思うんですよ。「人間はみなバカである」なんてイケダハヤトの戯言を名言だなんて勘違いするバカがいるから。知性が低いってことは、まぎれもなくバカなわけなんだけど、最近は「バカ」がいい意味でも使われるようになって「バカ」って言葉が「バカの壁」に取り込まれてしまって、本来の破壊力を失ってしまったように感じます。こういう種類の「バカ」って「いい意味のバカ」とも「本来の意味のバカ」とも違くて、何か得体の知れない反社会的なアブなさを持ったバカだと思うんですよね。

この人、以前にも田端某の名言らしい「I love him」がどうだのこうだの言ってたし。西野亮廣を盲信しているわけだし。狂信的というかなんというか、同じ国に生まれて同じ言葉をしゃべる同じ民族なわけなのに、この話の通じなさは一体なんなんだろうって思うんすよ。

あらためて考えたら、知性が低いってちょっと酷すぎる表現じゃないですか。そこまで言わんでもいいだろう、って。それが悪口じゃなくて、「研究によってわかりました」なんて言われたら、救いがないにもほどがあるわけで。
 この研究結果は、こうした戯言を受け入れやすい人も世の中にはいるという考えを裏づけていて、こうした考えを認めるのは、ただやみくもに疑うだけではなく、もっともに思える主張でも当てにならない曖昧さがあることを見抜くことにもなる。
 戯言を受け入れやすい人は、じっくり考えようとせず、認識能力、数量的思考能力、言語や流動的な知性が低いという。さらに、存在論的に混乱していて、陰謀的観念をもちやすく、一般薬でない、補完的、代替え医療薬(例えば魔術)などに傾倒しやすい。
バカにつける薬はないって言うけど、それはバカが「症状」じゃなくて「結果」だからだと思うんですよね。原因があって、その結果だと、そういう話なんじゃないかと。生まれたときからバカでした!ってわけじゃなくて、後天的な環境が影響してバカになったんだと。だからバカを治すためには、薬なんていう外的な、対症的なものじゃなくて、内面の根本的な部分にメスを入れないといけないわけで。で、その根っこの問題であろう部分に、本人が気づいていないとは思えないんですよね。

個人的経験から、こういう「比較的優れている他人の言葉」をやたら賛美して吹聴する人っていうのは、それを言い訳に使っている傾向があるんですよね。自己正当化ってやつです。

だからぼくは悪くない。

だからぼくは正しい。

DA KA RAせめて歌うのさ

本当は、自分のダメな部分に誰よりも気づいていて、悩んでいて、それでも変えることができない。そういった苦しみから逃れるために他人にすがっているように見えてしまうんですよね。その苦しみはよくわかるし、自分にもそういう部分はたくさんある。で、有名な人の言葉を都合よく解釈することって、とっても気持ちがいいんですよね。自分もその高みにいるかのように錯覚できるから。

あの人のこの言葉って、こういう意味だよね。

それって、俺が思ってることと同じじゃん。

俺がいつも言ってることだよね。

やっぱり俺は間違ってない。

だって、俺とあのスゴイ人は、同じ考えなんだから。

いぐーいぐー


まあ、引用しないから知性低くないのかっていうのはまた別の話なわけで。